本日、特別展「運慶」を開催中の金沢文庫を訪れ、特別講演会「運慶様式の形成」(講師:奥健夫さん)を聴講しました。私には少し難しい講座でしたが、

・様式には、個人様式と集団様式がある。12世紀以降、運慶ブランドが形成され、運慶工房の仏師は、発注者の要望に合わせて、ある時は工房で継承している運慶様式を全面に出した仏像を造り、ある時は自分自身の作風を全面に出した仏像を造った。ですので、同じ仏師であっても全然異なる様式の仏像を造ることもあるし、運慶とかなり似ている仏像を造ることもある。

のようなことが内容ではないかと思いました。

円成寺の大日如来像と北円堂の弥勒如来像が運慶仏と認められている時、願成就院の仏像を運慶仏として認めるかかなり時間がかかった。円成寺像と北円堂像に比べて、願成就院像は全体に分厚いなど、異なる様式が見られたからである。

東大寺南大門の仁王像は、様式から阿形が運慶、定覚、吽形が快慶、湛慶の作と考えられていた。しかし、修理の結果、阿形が運慶、快慶、吽形が定覚、湛慶の作と分かった。しかし、これに関しては問題にならなかった。運慶が大仏師で、実際の作業を快慶に任せたと考えられるからである。

南円堂の四天王像は現在最も仏師が誰であるか注視されている仏像である。運慶作と考えられているが、今までの運慶様式では当てはまらない様式をしているからである。例えば、願成就院の毘沙門天像は不動の安定化があるが、南円堂像は今動いている途中のようである。

滝山寺の観音像と横須賀満願寺の観音像、京都清水寺の観音像は体のラインが似ている。しかし全体で見た印象が異なるのは、横須賀満願寺像は東国武士の好み、京都清水寺像は京風に合わせ、それぞれ様式が追加されたからだと考える。
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