月刊致知12号の特集は「遊」です。以下、総リードより。

遊は暇つぶしではない。また何かのためにするものでもない。子供の遊ぶ姿にそれは如実である。遊ぶ子供は、どんな遊びであれ、その遊びと一体になっている。夢中である。無心である。

「知る者は好んでやる者には及ばない。好んでやる者は楽しんでやる者に及ばない」
古来、多くの人が愛誦した一節だが、伊与田覚氏はこの上にもう一つの境地があるという。それが「遊」である。知には無知、好きには嫌い、楽しみには苦しみというように、知好楽には相対する世界がある。しかし、遊には相対するものがない。絶対の境地である。ここに到ることが尊いというのである。

『礼記』の一篇「学記」では、学問には蔵学、修学、息学、遊学の四つの段階があると記されている。
もっぱら本を読み、知識を蔵にしまい込むように学ぶ。蔵学である。
次に集めた知識を整理し、自分のものにする。修学である。
この段階を経ると、呼吸するのと同じように学問が自然になる。息学である。
そして、さらに学問が体に溶け込み、自分と学問が一体になる。遊学である。
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