11/3は尾道の浄土寺の御開帳、11/4は宮島へ行ってきました。それらのことはブログには書かず(写真はfacebookページに載せます)、ブログでは、JR宮島口駅のほど近くにある子持ち観音について書きたいと思います。

子持ち観音に関しては、政田マリさんの書かれたこちらの記事で知り、今回広島県を訪れる機会に是非訪問したいと思ったのです。

宮島からJRフェリーで戻り、左方向に歩きます。すると、国道2号線と合流するので、道なりに進みます。しばらく歩くと、「深江」交差点に到着するので、そこを左折します。少しすると、「子持ち観音」と書かれた案内がありますので、矢印の通りに進みます。案内は見落としやすいので、注意が必要です。



歩くと、すぐに由来を示す観音像案内掲示文がありました。

『子持ち観音』の由来
この観音像は、「子持ち観音」と称し、胸部に小さな石造りの観音さまが拝されています。
年代は不詳ですが、この石造り観音は此処から西方二百米の海上に見える「二つ島」(通称、鼻ぐり山)の山上に水難と平和加護のため安置されていましたが、海が荒れ、海中に落ちていたのを漁師が引き上げ、この地に祭りました。その石灯籠に「天保」の文字が刻んであったことから相当古い年代であることが推測されます。
明治になって能美大原村(現在の大柿町)の人で豪商・佐々木伝介という人がここの麓(現在、広島銀行レゾナンス)に別荘を建てたとき、この石観音さまのために檜造りの六角堂を寄進して、これに奉納いたしました。
その後、佐々木氏は大阪の工人・高尾定七に高さ二・六米の赤銅作りの大観音像を鋳造させて、その胸部に石観音を収め祭ることとしました。
明治四十五年三月、観音さまの入仏式には、宮島駅(現在のJR宮島口駅)に着いた大観音像を大勢の地元の人々が紅白の綱を行列で引き、この地に運び上げたというその時の賑わいは、大変なものだったと伝えられています。
佐々木氏は、当時のお金で拾四円を寄付され、その利子で毎年一回お祭りをしましたが、その祭りは地元の信仰の厚い人々に護り続けられました。
現在は、地元消防団の勧進で毎年四月十八日に行われ、多くの善男善女がお参りして、海と集落の安全加護をお参りしています。
それ以来、この岬を観音崎と呼ぶようになっています。

案内板の先には山道が続きます。



その道を登りきると、子持ち観音像が祀られていました。






胸に小さな観音様もいらっしゃいます。観音様は海の方を向いておられ、海の平和をしっかりと守っているように感じました。



宮島を訪れたときは、子持ち観音像にも是非お参りしましょう。
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