1月31日、京の冬の旅で特別公開している相国寺・養源院を訪れました。

中に入ると、中央の部屋に大きな毘沙門天立像が祀られていました。像高は約170センチで、鎌倉時代の慶派仏師の作と伝わっているそうです。一般に毘沙門天像は多宝塔を掲げていますが、こちらの像は左手に戟(げき)を持ち、右手を腰に添えています。

この毘沙門天像は長年その存在が知られていませんでしたが、江戸時代の1763年5月21,22,22日に三夜連続、相国寺の近くに住む奈良屋与兵衛の夢枕に毘沙門天が現れ、
「我が像を修復して人々に参拝せしめよ」
と告げました。

そこで、与兵衛は相国寺に相談に行き、相国寺は寺中を探索したところ、バラバラになっている像を見つけ、与兵衛が修復の援助をして、像は復元されました。そして、修復された像は6月12日にご開帳されました。この話は相国寺の公式記録に載っているので、本当の話だそうです。

次は右の部屋に移動しました。こちらには、本尊の薬師如来立像、虚空蔵菩薩坐像、阿弥陀如来立像が祀られていました。養源院は幕末、薩摩藩の野戦病院となりました。その理由は、相国寺で唯一、薬師如来像を祀っているからだと考えられているそうです。

次は左の部屋に移動しました。こちらには、御前立の毘沙門天立像が祀られていました。中央部屋の毘沙門天立像は憤怒の相でしたが、御前立の毘沙門天像は静かなお顔をされており、顔だけ見ると、観音様のような感じがしました。

最後は奥の部屋で、幕末に当時の藩士がつけた刀傷が残る柱、近衛家から移築された書院「相和亭」から池泉式庭園を鑑賞しました。

相国寺・養源院
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