月刊致知2月号に掲載されている、「絶えざる切磋琢磨がプロ教師を育てる」より。

鉛筆の真ん中に真っ直ぐの芯があるように、教師も真っ直ぐの芯を持つべきだと思います。もっとも小学校の教師については、特にいろんな芯の硬さを持たなければいけないと思うんです。

私は以前特別支援学級を受け持ったことがあるのですが、そういったクラスの子供たちに通常学級の子供たちと同じように接することはできませんよね。ですから教師としていかなる場合も芯はぶれさせないけども、芯の硬さはある子にはHB、ある子にはFという具合に変えてよいのではないかと思っています。

それと鉛筆の芯の周りには木を使っていますよね。だから「気を使って」常にアンテナを張り巡らせる、そういう人間でないといけません。

さらに鉛筆というのは削っていくものなので、教師も身を削りながら芯を貫いていくと。それを最低十年やると、自分の思いがきちんとした形として見えてきます。でも肉にも熟成期間があるように、自分を熟成させるためには二十年やる。さらに芸の世界に守破離という教えがあるように、人とは一味違うものを出していくには三十年やる必要があるのではないかと。

「不易流行」という言葉がありますよね。鉛筆の芯が不易で、その周りの木が流行にあたると思うんですよ。大事なことは、いかに時代の変化に対応しながら、同時にぶれないものを持つことで、その二つを兼ね備えた人材になれるように自らを育てていくことでしょうね。
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