横浜市歴史博物館で12月6日から1月12日まで「平成26年度横浜市指定・登録文化財展」が開催されています。本日、11時から担当学芸員による展示解説がありましたので、それに合わせて、訪れました。

(木造 観音菩薩立像)
・頭部に化仏があるので、観音菩薩像と分かる。
・腰を少しひねっているので、三尊形式の脇侍だったかもしれない。
・カツラの一木造りで、素朴な技法である。
・平安時代後期の造られた。

(木造 薬師如来立像)
・クスノキの一木造り
・もと磯子区田中二丁目にあった薬王寺奥の堂の本尊で、永禄年間(1558-70)に水田の中から掘り出されたと言われており、田中という地名はその伝承に由来する。
・右の肩に傷があるが、水田から掘り出されたので、鍬(くわ)による傷と言われている。

両像とも、平安時代後期に横浜地域で造られたというのが非常に価値があると思います。もちろん、美術品として見た時、中央(畿内)の仏像に比べれば見劣りしますが、素朴で良い像だと思いました。
観音菩薩像は右手を下に垂らしており、一般に与願印では手のひらを見せていますが、本像は、手の甲を見せていました。多分、修復の際に逆になったのだと思いますが、それとも元々そうだったのでしょうか。
薬師如来像は薬壺も一木として一緒に彫られているのがユニークだと思いました。薬師如来像は薬壺が無くなったため、薬師像と判断できなくなっている場合がありますが、一緒に彫られていれば、無くならないので、薬師像と分かりますね。

(鶴見川流域の廻り地蔵)
・池辺町八所谷戸の廻り地蔵と新羽町三谷戸の廻り地蔵が展示されています。
・八所谷戸では、地蔵尊を迎えた家は10日間置いて、3の付く日(3日、13日、23日)に次の家に廻す。子、孫が生まれると地蔵尊に赤い襷(たすき)をかけるので、地蔵像はいつも赤い布で覆われており、地蔵尊を廻している家々の人もその姿を見たことがなく、今回の展示で初めて見た。
・三谷戸では、預かる期間は決まっておらず、一週間程度の家もあれば、三年間も預かる家もある。
・廻している家々は同じ寺院を檀那寺としているわけではない。

今も廻り地蔵の風習が続いていることに一番驚きました。ずっと続いて欲しいですね。八所谷戸の地蔵像は、左足を踏み下げた坐像で、三谷戸は立像でした。
3の付く日に次に廻すのは、地蔵菩薩の縁日が24日なので、4の付く日の前日に廻すようになったのだと思いました。

その他にも、文化財指定された日祐筆の曼荼羅本尊、板曼荼羅があり、また、横浜の遺跡展も併設してあり、横浜の文化財を堪能できました。展示は明日までですが、無料ですので、お近くの方は是非どうぞ。

(追伸)
展示を鑑賞していると、私に手を振る人が。イラストレーター&文筆家の田中ひろみさんでした。地元の人しか来ないような、こじんまりした展示で会うとは思ってもいなかったので、ビックリしました。「さすがプロの人は違うな」と思いました。


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