私が三橋節子美術館を知ったのは、今回、三井寺を訪れることにしたので三井寺を紹介する本を読んでいるとそこに掲載されていたからです。書かれている文章を読んで、すぐに絶対に訪れようと思いました。

三橋節子さんは画家として充実した日々を送っていましたが、昭和48年に右肩鎖骨腫瘍により、画家にとって命とも言える利き腕を切断することとなり、同時に余命いくばくもないことを知りました。しかし、彼女は画筆を左手に持ちかえ、2年後に亡くなるまで、数多くの作品を生み出しました。それらは近江の昔話を基にしたもので、残して逝かねばならない家族への愛情が表現された作品として観る人に深い感動を与えるものです。

今回訪れた時には全作品の1/3程度を展示していたそうですが、私は左手で描いた作品である「三井の晩鐘」、「花折峠」、「湖の伝説」が心に残りました。利き腕でない左手で描き始めてから2年以内の作品とは思えない出来であり、心に訴えかける作品です。
「念ずれば 花ひらく」を実践された方であり、左手で描けたのは家族への愛情が一番の理由でしょうが、三井寺の諸仏(特に鬼子母神様)や琵琶湖の龍神様のご加護もあったのだと思います。
また子供への最後のはがきも展示されていましたが、読んでいると思わず目頭が熱くなりました。

三橋節子さんの作品が心に訴えかけるのは彼女の内面が美しいからだと思います。オシャレをすることにより、外見は簡単に美しくなりますが、そのような直ぐに手に入れた美しさは失うのも早いです。一方、内面の美しさは築くのは時間がかかりますが、一度築いたその美しさは末永く続きます。そのような美しさが本物の美しさだと思います。

館内には「雷の落ちない村」の絵本が置いてあり、その巻末エッセイに梅原猛さんが、出会いとは生きている人との出会いだけではなく、既に亡くなっている人との出会いもあると書いてありました。それを読み、私にとって美術館を訪れた日が三橋節子さんとの出会いの日だと思いました。
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