以下、印象に残った箇所を書きます。
「土佐、祈りの原風景」
・空海は祈祷以外にも、讃岐国で多くのため池を造り、人々を救済した。
・空海は虚空蔵菩薩求聞持法を体得し、無限の記憶力を手に入れたが、これはお経を記憶するためである。お寺に訪れると納経帳に印を押してもらえるが、納経帳は文字通り、お経を納めること。お経は勉強のために必要だったが、昔はお経が少なかった。よって、お寺にお経を納める功徳は大きかった。
→今はスタンプラリー感覚で御朱印を貰っている人が多いと思いますが、いただく度に本来の意味を思い出したいですね。
・今回の展示に白鳳時代の観音像(レプリカ)が展示されているが、同じような仏像が三宅島でも発見された。高知県と三宅島はずいぶん離れているが、両方とも黒潮が流れていると共通点があるので、黒潮による交流があったと考えられる。
・今回の仏像は全て露出展示である。
・手、足が無くなり、壊れている仏像に価値がないという人がいる。しかし、(千年前に造られ、)今まで守られてきたことの奇跡に価値がある。
・手、足が無い、ボロボロの仏像が展示されているが、そのようになったのは、子供が出来ない家庭にお寺から仏像を貸し出していたからである。
→仏像自体、とても優しいお顔をされており、大変魅力的ですが、上記の話を聞き、一層魅力的に感じました。
・運慶、湛慶に近い人物が造ったと考えられる大日如来像が展示されている。とても貴重な仏像で、この仏像の発見が基で、地域の結びつきが出来て欲しいと思っていたが、本当にそのようになった。
「霊場住職と語る(四国遍路)」
本来は26番の御住職と青木先生との対談でしたが、35番の御住職も参加されました。
・結婚前のしつけとしてお遍路する「娘遍路」というものがあった。
・歩きと車による遍路は同じだと思っているが、歩きの場合は感じる密度が違う。遍路では足に草が当たって足を切らないように脚絆をつけるが、ある歩き遍路をした人は、地域の人が草を刈ってくれていることに気づき、感謝の気持ちを持った。遍路、巡礼は歩く宗教。
→遍路、巡礼で、全てを歩く必要はないと思いますが、歩ける箇所は出来るだけ歩きたいですね。「歩きの場合は感じる密度が違う」は正にそのとおりだと思いました。
・箱車が展示されているが、箱車とは、歩けないがどうしても遍路をしたい人が乗ったもので、リアカーのように引っ張って、動かした。では、峠越えはどうしたか。それは、周りの人達がお接待として、担いだのです。
とても興味深い内容で、あっという間に時間が過ぎた感じでした。明日も訪れますので、展示されている仏像に関しては、また別の記事で書きたいと思います。
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