集合場所の伊勢中川駅からバスで金剛證寺へ。バスは伊勢志摩スカイラインを順調に上っていきましたが、窓から外を見ると、かなり高い場所まで登っているのが分かり、ここまで歩いて登るのは、さぞ大変だろうなと思いました。
しばらくすると、バスはお寺に到着し、バスから降り、石段を登って、仁王門をくぐり、連間の池を見つつ、珍しい蓮華庚申を拝観しながら、歩を進めていくと、開帳塔婆がありました。結縁綱もありましたので、綱に触れながら、石段を登り、本堂へ。

堂内に入り、外陣から拝観すると、少し距離はありますが、本尊の虚空蔵菩薩坐像が祀られているのが分かりました。また外陣には、なで仏、大黒天像、弁財天像と童子像も安置されていました。外陣から御本尊を拝観していると、御住職様が来られ、本来は御祈祷をお願いした人しか入れない内陣に特別に案内してくれるとのこと。このサプライズはとても嬉しかったです。
内陣に入ると、脇侍として、明星天子、雨宝童子が祀られているのに気づきました。外陣から拝観した時は、全然気づかなかったです。雨宝童子像は何度か拝観したことがありますが、明星天子像は初めてだと思います。龍に乗ったそのお姿は格好良かったです。内陣には、他にも明星天子像が祀られていました。また、本尊の虚空蔵菩薩像の真後ろには、天照大神を祀る社がありました。金剛證寺は、伊勢神宮の鬼門を守る寺ですので、天照大神を守っているのだなと思いました。
本堂拝観後、奥の院に行きました。奥の院への道には、通常より遥かに背の高い卒塔婆がたくさんあります。この辺りでは、亡くなった人の霊魂は全く別の世界に行ってしまうのではなく、朝熊山に霊が集まる「他界」があるという考え(山中他界説)があるからです。

最後は宝物館です。こちらには、重要文化財の雨宝童子像が祀られています。雨宝童子とは、大日如来の化身である天照大神が日向国(宮崎県)に降臨した16歳の時の御姿だそうです。また、頭に五輪塔があるものを金剛證寺型と呼ぶそうです。
金剛證寺は徳川家と縁が深いのですが、それは、家康が寅年、寅の日、寅の刻に生まれであり、虚空蔵菩薩が寅年の守り本尊で、金剛證寺の虚空蔵菩薩が日本三大虚空蔵菩薩の第一位だからだそうです。
地蔵菩薩立像も祀られており、歯があり、衣を着せることができる着せ替え像です。これは、人のように感じさせるためとのことです。また、胸に傷があったのですが、これは賽銭を投げつけられた時の跡だそうです。時代が変わると、お参り方法もずいぶん違いますね。宝物館には、この他にも、源義朝の刀など、たくさんの素晴らしい物が展示されていました。
金剛證寺は見どころの多いお寺で、また来たいなと思いました。
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