お盆休みを利用して、奈良国立博物館で開催されている特別展「醍醐寺のすべて」を見に行きました。今年は博物館で良い特別展がいくつか開催されますが、醍醐寺展は見逃せない特別展の一つです。

以下、印象に残った仏像の感想です。

・(21)如意輪観音坐像
どちらが良いか比較されることの多い(20)の如意輪観音坐像と並べて展示されていました。個人的には(21)の像の方が良いと思いますが、以外に(20)の像の方が良いと言う人が多いです。

拝観していると、股間の部分にリボンのようなものが結ばれているのに気づきました。(20)の像はどうかなと思いましたが、同じようにありました。他の像にあったかどうか思い出せないので、これから如意輪観音像を拝観する時には確認したいと思います。

また、両膝の辺りに波打ったような衣がありました。これは(20)の像にはなかったですし、他の像にもないと思います。

・(24)千手観音立像
両脇の四十本の手が全て前に突き出しているのが特徴的な像です。なぜ突き出しているのか。やはり、衆生に手を差し伸べていることを強調したかったのだと思います。

・(28)薬師如来三尊像
薬師如来は、大きく、迫力のある坐像です。病魔を退散させることを目的として、そのような像を造ったのかなと思いました。一方、両脇の日光、月光菩薩像は薬師如来像と比べるとアンバランスで、小さく感じます。図録には「作風上は同じ基盤にあるに見え」とありましたが、両脇侍は本尊とは別だったのではと思います。

・(34)五大明王像
図録に「上醍醐の五大明王像が初めて揃って山から降り」とあるように、今回の展示の目玉の一つです。どれも立派な像でしたが、五大堂創建当初の像は大威徳明王像のみであり、他は基本、江戸時代の作です。このような場合、「平安時代の像は素晴らしく、他は今一」と言う人がいますが、私はそのような意見は好きではありません。江戸時代の作にはそこでしかない良さがあり、それを見つけるのが仏像鑑賞の楽しみだと思います。

また、「豊臣秀頼が施主として制作」とありました。江戸時代とあったので、秀頼とは思ってもいませんでした。徳川家康は豊臣家の力を弱めるため、寺社の修繕を豊臣家にさせ、財力を削ごうとしたと一般に言われています。豊臣家は言われるままにお金を出していただけなのでしょうか。やはり、何か願いごとをしていたと思います。像を見ていると、秀頼は徳川家と仲良くし、平和な時代が訪れることを望んでいたように思いましたが、どうでしょうか。

・(128)快慶作 弥勒菩薩坐像
個人的にはこの像にお会いするために本展示会に来たと言っても過言ではありません。お寺では距離がある拝観となるので、今回の間近で拝観できる機会をとても楽しみにしていました。

像は素晴らしいの一言です。完璧すぎて、何も言うことはありません。案内には「後白河法皇追善のために造立」とありました。制作は1192年で、源平合戦、天変地異などがあり、世の中が大変混乱していた時代です。弥勒菩薩は56億7000万年後に現れると言われていますが、快慶は一日も早い弥勒菩薩の登場を願って、このような完璧な像を造ったのではないかと思いました。


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