2月9日、京の冬の旅で特別公開されている阿弥陀寺を訪れました。阿弥陀寺を訪れようと思ったのは織田信長ゆかりのお寺だからで、戦国武将好きとしては是非訪れたいお寺でした。

本堂に上がると中央に丈六の立派な阿弥陀如来坐像が祀られていました。着座してしばらく待っていると、案内の方が説明をしてくれました。京の冬の旅は案内の方が丁寧に説明してくれるのが嬉しいです。

中央に祀られている阿弥陀如来坐像は二度火災に遭ったそうで、顔が少し黒くなっていました。お堂の向かって左壇には、織田信長の像が祀られていました。阿弥陀寺は6月2日に一般公開されていますが、6月2日は本能寺の変があった日です。

阿弥陀寺の開山は清玉上人で、織田信長の庶兄である織田信広の初陣である小豆坂の戦いで、身ごもった婦人がおり、婦人は亡くなったが、お腹の中の赤ちゃんは無事で、信長の父である信秀はその子を我が子のように育てました。

その子は大きくなった時、自身の出生を知り、僧侶になりたいと願い、信秀は阿弥陀寺に預けました。それが後の清玉上人です。

清玉上人はやがて正親町天皇から帰依されるようになり、三好・松永の戦いで大きな被害を受けた東大寺大仏の勧進役に正親町天皇から任命されたそうです。江戸時代に公慶上人が勧進するまで、大仏はほったらかしになっていたと思っていたので、この事実には驚きました。

本能寺の変の日、当時の阿弥陀寺は本能寺から近い場所にあったので、清玉上人はいち早く本能寺に訪れ、信長の遺体を阿弥陀寺に運んだそうです。テレビなどで本能寺の変を特集した時、信長の遺体は見つからなかったと紹介されることが多いですが、清玉上人が運んだより、見つからなかったとしたほうがセンセーショナルだからでしょうね。

豊臣秀吉が自身の権力を天下に示すために信長の葬儀をしたいと清玉上人に願い出ましたが、清玉上人は信長の葬儀はもう済んでいると言って、拒否したそうです。

明治時代、明治天皇が信長に正一位を与えたいと考え、色々な場所にあった信長の墓のどれが本物かを学者に調査させたところ、阿弥陀寺にある信長のお墓が本物であると結論づけられたそうです。

説明が終わった後、像を近くで拝観しました。左壇には向かって右から織田信広、織田信長、織田信忠の像があり、本能寺の変で亡くなった森蘭丸らの位牌もありました。

右壇には、清玉上人像がありました。今回の訪問では、清玉上人について知ったことが良かったです。

最後は、織田信長のお墓と清玉上人のお墓にお参りしました。


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