次は群馬県富岡市にある得成寺を訪れました。
お寺に到着すると、本堂内でご住職様のお話を聞きました。

得成寺は山号が「小町山」とあるように、小野小町とゆかりのあるお寺です。
小野小町は出羽国の出身で、13歳で京都に上京しました。
昔は30歳を過ぎると姥(うば)と呼ばれ、30歳を過ぎた小町は夢の中に信仰していた長谷観音が現れ、出羽国に帰ることをアドバイスされたので、戻ることにしました。

小町は出羽国に戻る途中、現在得成寺がある辺りで病気になり、薬師如来にお参りするために庵を造りました。これが得成寺の始まりです。

しかし、病気は中々治らず、小町は恨みの歌を詠みました。すると、夢に薬師如来が現れ、歌を返しました。
その後、小町は回復し、御礼として、髪と爪を埋めた小町塚を造りました。

時代が下り、得成寺の住職が亮賢の時、桂昌院は将軍・家光の子を身ごもり、生まれてくる子が男の子か女の子かを色々な人に占ってもらいましたが、皆、女の子であると占いました。

桂昌院は亮賢の噂を聞きつけ、占ってもらいますが、やはり、女の子となります。しかし、亮賢は女の子から男の子に変わる祈祷を私がすれば、男の子が生まれると言い、結果、男の子が生まれました。

得成寺の「得」は徳川の「とく」、「成」は成功するということで、未来永劫、徳川家が成功するようにという意味が込められているそうです。

御本尊は不動明王で群馬県で一番古い仏像だそうで、高野山の赤不動とそっくりとのことです。

また、小野小町の画もありました。小町は絶世の美女と言われていますので、顔を描くのを避け、後ろ姿の画が多いそうです。しかし、こちらの画はきちんと顔が描かれており、貴重なのだそうです。



お話の後、仏像を近くで拝観させてもらいました。
本尊の不動明王坐像の左右には五大明王、手前には、こんがら童子、せいたか童子が祀られていました。個人的には、せいたか童子が良かったです。ポーズも決まっており、慶派らしい素晴らしい像でした。



小町晩年の像もあり、運慶作と伝わっています。4月8日のみの御開帳とのことで、写真のみ展示してありましたが、素晴らしい像で、拝観に訪れたいと思いました。

得成寺は小野小町、亮賢にゆかりがあり、仏像も素晴らしいものでしたので、訪れることができ、良かったです。
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