今日の午後は、鎌倉の東慶寺を訪れ、予約していた仏像展のギャラリートークに参加しました。ギャラリートークでは、東京国立博物館の浅見龍介さんから、聖観音像、水月観音像について、詳しく紹介してもらいました。

(聖観音菩薩立像)
・観音像は条帛のみで上半身は裸が一般的だが、本像は如来のような着衣である。中国・宋時代以降にこのような像が現れる。
・土紋(どもん)が特徴である。当時の文化の中心は京都と鎌倉、文化の入口は博多だが、土紋のある像は鎌倉周辺にしか見られない。
・土紋は京都の貴族の目には野暮ったく思えた。
・鎌倉は北条時頼の時代から京都とは違った文化を創りたいと考えるようになり、中国の文化をストレートに受け入れた。

(水月観音坐像)
・右肘をつき、足を投げ出している、リラックスした姿である。このような姿は鎌倉周辺にしかない。
・欧米の美術館には、水月観音と同じような姿をした中国の観音像が数多くある。
・何故、このような姿の観音像が造られたか。
・華厳経に観音は山に住むと書かれている。中国では、山に仙人が住むとされ、仙人はリラックスしたポーズで描かれた。
・仙人と観音が重なり、リラックスした姿の観音像が生まれた。
・水月観音像は髻(もとどり)も中国的な表現で変わっている。

「仙人と観音が重なり(日本で言えば神仏習合して)、リラックスした観音像が生まれた」という話は興味深かったです。

東慶寺の仏像展を鑑賞するのはこれで三度目ですが、今回は浅見さんの話を聞き、今まで気づかなかったことに気づくことが出来たので、とても有意義でした。


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