私の寺社めぐりの方針は一言でいうと「きちんと信仰心を持ってお参りし、神仏の智慧を学ぶ」です。
「信仰心」と言うと持っていないと答える人が多いと思いますが、神仏を敬う気持ち、神仏に対する畏敬の念と言い換えてもよいと思います。
インターネットにより、寺社めぐりのハードルは確実に下がりました。それは良いことですが、同時に神仏を敬う気持ちも下がってしまったような気がします。
「最初はそれでもよい、寺社をめぐっているうちに敬う心も芽生えてくる」
という人もいますが、木に例えるならば、敬う心は根っこにあたると思います。根っこがしっかりしていない木がきちんと育つでしょうか。やはり、なるべく早く根をしっかりと張ることが大切だと思います。
「神仏の智慧を学ぶ」に関して、まず寺社めぐりをする理由を考えてみたいと思います。一番多い理由は、日常生活とは違うものを見聞きすることにより、気持ちをリフレッシュしたいからだと思います。
(1) 仕事等で精神的に疲れる。
(2) 寺社めぐりで日常とは異なるものを体験し、気分がリフレッシュする。
(3) 日常生活に戻る。
(3)の後、また(1)に戻り、以降、(1)から(3)を繰り返し続けます。これって、一種の輪廻ですね。このプチ輪廻から抜け出す方法が神仏の智慧を学ぶことだと思います。
神仏の智慧を学び、実践することにより、日常生活で精神的に疲れることが確実に減り、人生をより豊かに送ることが出来るようになります。お釈迦様は如何に人生を送るかを説かれたので、当たり前のことですね。
寺社めぐりと史跡めぐりの違いは、神仏の智慧の有無だと思います。
お釈迦様、各宗派の宗祖を始めとした高僧らが思いを込めて残したもの。それらを学ばない寺社めぐりは本当にもったいないと思います。
寺社めぐりで、神仏の智慧を学び、人生をより豊かに送ることができる。ブログを通して、そのお手伝いが少しでも出来れば、これほど嬉しいことはありません。
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