列があったのは旅行会社の団体観光客のためでしたが、報恩寺に滞在中は、常に人が多く、多分、今回の京都非公開文化財特別公開の中でも人気のスポットだったと思います。
堂内中央には御本尊の阿弥陀如来像が祀られていました。快慶作と言われているそうで、距離がありましたが、確かに安阿弥様の阿弥陀如来立像でした。
堂内左には、今回の目玉である「鳴虎図」が掲げられていました。鳴虎図は、寅歳の正月三が日にしか公開されない貴重なものです。
豊臣秀吉が報恩寺から聚楽第に持ち帰りましたが、その夜、虎が一晩中鳴いて眠れなかったので、「鳴虎」という名前がつけられています。
鳴虎図は少し離れてところから見ると立体的に見え、また近くで見ると、虎の毛が本物のような思え、とても素晴らしいものでした。秀吉が気に入って、聚楽第に持ち帰ったという理由も分かります。
画としても素晴らしいですが、私には秀吉もこの図を見たという事実も大きいです。戦国時代好きとしては、秀吉が見た画と同じものを見ているというだけでワクワクします。
鳴虎図のある堂内左側には、阿弥陀如来坐像も祀られており、黒田官兵衛、黒田長政親子の位牌も一緒にありました。これは、黒田長政は京都において報恩寺を宿舎としており、1623年8月4日に報恩寺で亡くなったからだそうです。
黒田長政を看取った阿弥陀如来像。長政は阿弥陀如来像とどのような会話をしたのだろうと思いました。
堂内右側には、もう一つの目玉である「千体地蔵尊」が祀られていました。普段は京都国立博物館に寄託されており、お寺での公開は初めてとなります。
像は高さ13・5センチで、小さなお地蔵さんが所狭しと並んでいます。千体地蔵尊という名前のとおり、元々は千体あったのでしょうが、今は954体あるそうです。
像には閻魔王と冥官もおり、地蔵菩薩は閻魔大王の本地仏として、祀られていたと思われます。作成時代は鎌倉時代ということで、戦で多くの人を殺めた武士が地蔵菩薩に救ってもらいたいと思い、作成を依頼したのかなと思いました。

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