達谷窟毘沙門堂の後は松川二十五菩薩堂に行きました。松川二十五菩薩堂の住所は、
岩手県一関市東山町松川町裏ノ上
ですが、中々場所が分からず、到着すると、既に案内の方が収蔵庫の前で待たれていました。

早速、収蔵庫の中に上がると、阿弥陀如来坐像と二十五菩薩像が祀られていました。阿弥陀如来と二十五菩薩は人が亡くなった時、極楽浄土から迎えに来る仏様です。

阿弥陀如来坐像は頭部は後補ですが、全体がそろっています。一方、二十五菩薩像は二十三体のみ現存していますが頭部は全てなくなっており、足だけのもの、体部だけのものなど、破損が激しいです。

正面の阿弥陀如来坐像の脇には大和座りだったと分かる像がおかれ、元はかなり立派な仏像群だったと感じました。

案内の方によると、平安時代に造られた二十五菩薩の仏像は
・京都 即成院
・和歌山 法福寺
しかないそうです。

なぜ、松川にこのような立派な仏像があるのでしょうか。理由は明確ではないそうですが、
・この辺りは金の産地で、川が近くにあり、交易でかなり栄えていた
・元々は毛越寺に祀られており、源氏が攻めて来る時に移動した
などの説があるそうです。

また全ての像の頭部がないのは、
・病気の際に削って飲んだ
という説があるそうです。

破損が激しくなっても、松川の人々を温かく見守っている仏様にお会いでき、この日のお寺めぐりは終了しました。
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