鎌倉国宝館の展示ではいつも展示解説を楽しみにしており、今回の展示では土曜日の午前11時から展示解説とありましたので、それに合わせて訪れました。
以下、印象に残った仏像を紹介します。
・證菩提寺 阿弥陀三尊像
鎌倉国宝館に訪れたことのある方ならば分かるでしょうが、入ってすぐの部屋には中央に仏像を展示するスペースがあり、今回の展示では、どの仏像がそこに展示されるのかと思っていました。
訪れると、中央には、證菩提寺の阿弥陀三尊像が展示されていました。證菩提寺は、石橋山合戦で源頼朝の代わりに討たれた佐奈田与一義忠の為に建立されたお寺です。三尊像は創建当時の像と考えられており、よって、頼朝が直接関与した貴重な仏像です。
像は定朝様式で、何故、頼朝は武家好みの鎌倉様式ではなく、定朝様式の仏像を造らせたのでしょうか。私は、頼朝は佐奈田与一の恩に報いる為、当時最も素晴らしいと思われていた定朝様式の仏像を造ったのではないかと思いました。
像自体も素晴らしく、360度ぐるっと回ってみましたが、どの角度から見ても、素晴らしかったです。
・瑞林寺 地蔵菩薩坐像
運慶の父である康慶作で、こちらも素晴らしい仏像です。銘文に頼朝ゆかりの人々の名前があり、慶派と東国武士とつながりを証明する像でもあります。
・清雲寺 毘沙門天立像
こちらの像は兜が取れるようになっており、裸足であるのも特徴です。像自体が小さく、また兜が像に比べて大きいので、子供をモデルにしたように感じます。
よって、初陣を記念して造られた像、あるいは、幼くして亡くなった武将の追善供養の為に造られたと考えられているそうです。
・建長寺 伽藍神坐像
鎌倉の仏像の特徴として、宋文化を積極的に取り入れたことです。伽藍神は道教の神で、それが仏教に取り入れられたものです。
大きく見開いた目、また顎に穴があり、ここに髪の毛が植えられ、ヒゲがあったそうです。現代人が見ても普通の仏像とは随分違う印象を受けますので、当時の人々は更に異形に感じ、怪異に感じたことでしょう。
・浄光明寺 勢至菩薩坐像
こちらの仏像の宋文化の影響は、衣紋が波打っていることと高い髻です。私がこの像の好きなところは、首を少し左に曲げ、何かを考えているような姿が素晴らしい点です。
・円覚寺伝宗庵 地蔵菩薩坐像、浄智寺 韋駄天像
鎌倉地方にしか見られない土紋が両像にあります。保守的な貴族文化の京都では採用されなかったと言われる土紋ですが、両像でも一部しか残っていないので、是非、土紋をつけた現代の仏像を見てみたいです。
また地蔵菩薩坐像は結跏趺坐ではなく、右足を前に出していました。瑞林寺像のそうだったので、地蔵菩薩の坐像は結跏趺坐をしないものなのでしょうか。以後、気をつけて確認しようと思います。
・東慶寺 観音菩薩遊戯坐像
片足を踏み下げ、手をついてくつろいでいる姿を遊戯坐と言います。遊戯坐像も鎌倉地方以外ではほとんど見られないものです。
遊戯坐像では、東慶寺の水月観音像が有名ですが、こちらも像も良いです。
・建長寺 宝冠釈迦如来坐像
衣を台座の下に大きく垂らす法衣垂下(ほうえすいか)も宋文化の影響だそうです。
・寿福寺 栄西坐像、極楽寺 忍性坐像、瑞泉寺 夢窓疎石坐像
鎌倉の高僧像として、上記の三体が展示されていました。
栄西像は頭の形、忍性像は大きな鼻、夢窓疎石像はなで肩である点が特徴です。
また栄西像、夢窓疎石像は法界定印をしていましたが、右手が下で左手が上で、我々が坐禅をする時と同じでした。一方、建長寺の宝冠釈迦如来坐像は、左手が下、右手が上で法界定印をしていました。
高僧像の法界定印も今後、気をつけて確認しようと思います。
・甲斐善光寺 源頼朝像
神護寺の源頼朝像が源頼朝でないという説が有力になり、現在、源頼朝であると言える唯一の像です。
銘文に頼朝の命日、また「○○により造られた」旨も書かれており、○○の部分は墨がかすれてほとんど読めないそうですが、「品」とあるのが分かり、「品」がつくのは「尼二品」しかないということで、尼二品=北条政子が造らせたならば、源頼朝像に間違い無いとのことです。
頭部と体部は別の時代、また玉眼がなくなっているので、こちらの像も制作当時の像を是非、再現して欲しいです。
・仏法紹隆寺 不動明王立像
運慶作と考えられている像で、今回の展示の目玉かと思っていましたが、展示解説でも紹介がなく、「あれれ」と思いました。
納入品の月輪形の木札から運慶作と考えられています。隣に運慶作の大威徳明王像が展示されており、両像を比べながら見ましたが、運慶作のようであり、ないようであり、外見からでは判断が難しいように思います。
上述した以外の仏像も素晴らしく、ますます鎌倉が好きになりました。

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