月刊致知10月号に、中桐万里子さんの「心田を耕すことからすべては始まる」が掲載されています。

二宮金次郎は三十五歳の時、小田原藩桜町領の復興事業に携わるようになります。しかし、それは決して順調に進んだわけではありません。農民から武士に取り立てられた金次郎への嫌がらせ、妨害は凄まじいものがありました。七年目のある日、金次郎は家族にも弟子にも何も告げず姿を消します。

ある村で農民らによる熱烈な不動明王信仰の状況を目の当たりにし、ここにヒントがあるのではないかと感じます。そして不動明王を本尊とする成田山新勝寺へと向かい、二十一日間の断食の中で、大いなる気づきを得ることになります。

悟ったことの一つに「一円」という考え方があります。陰陽、善悪、貧富、敵味方などはあくまで立場の違い、すなわち「半円」のうちの名づけであり、「一円」のもとでは別の様相を呈するというのです。

例えば夏の寒さ(冷夏)は多くの作物には害(敵)になるが、寒さを利用して生育できる雑穀にとってはパートナー(味方)となり得る。夏の寒さを「悪(害)」と捉えるのは半円の見方であり、それを「善(益)」とする方法や立場を見つけ出す知恵を発揮する在り方が一円なのです。

自分で復興計画を練り、率先垂範し村人に実行させようとしたものの、挫折したのはなぜか。そこには常に自分が指導者であり、自分のやり方こそ善であり、これを通し抜こうという「我」にあったことに気づくのです。冷夏に米を実らせようとし続け、夏の寒さを「悪」と決めていたということです。

一方、自分に反対している村民にもまた一理があり、その立場から見える景色があり、彼らを活かす道があるはずだったことに改めて気づくのです。

見渡せば敵も味方もなかりけり おのれおのれが心にぞある
打つ心あれば打たるる世の中よ 打たぬ心の打たるるはなし

この歌はまさにそういう気づきを歌ったものといえるでしょう。
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