神仏習合信仰というものには、三つの性格があると、宗教学者・山折哲雄師はまとめられています。
一つ目は、自然そのものに神と仏が宿る。自然を中心としたときに神々の世界と仏たちの世界が自然に手を結び合う、そういう関係になるようになっていった。自然こそ神であり仏であるという信仰。
二つ目は、神道の側が仏教の影響を柔軟に引き受けて神様の像をつくった。つまり、神像化という、非常に重要な特徴。
三つ目は、今度は仏教の側が神道の信仰の影響を受けて、仏像を目に見えない「秘仏」にするという試みをやったこと。これも柔軟な対応の仕方であって、神々と仏たちの世界の相互交流の調和のある信仰形態というものを作り上げていった。こういう調和の関係こそが日本の社会を安定に導き、秩序ある世界を作り上げることに貢献した重要な原因である。
仏像というのは日本に招来されて以来、お堂の中でお祀りし、どこからでも礼拝することができる「開かれたご本尊」だった。開かれていて誰からも見られ、拝まれる。そういう仏像をなぜ隠さないといけないのか。
これが重要なところであって、仏の本体を隠す(秘仏)という信仰は、日本に招来された仏教に対し、土着の信仰としての神道が強い影響力を行使して、仏像の本尊を神のごとく見えないものに形を変えさせようとする、そういう働きがあったから生じたのではないかと思われる。これは仏教の神道化という面といっていい。
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「仏像を秘仏にするのは神道の影響からである」は読んで、そのとおりかもしれないなと思いました。
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