予定では檀王法林寺を訪れた後、奈良に移動するつもりでしたが、もう少しお寺めぐりをしたくなり、清浄華院を訪れることにしました。

まずは法然上人42歳像が祀られているお堂で説明を受けました。清浄華院という名前は、浄土に咲く花のように清らかに修行が出来るお寺という意味でつけられたそうです。法然上人像は42歳の時の像で、厄除けの法然として信仰されてきたそうです。

法然上人は円光大師を始めとして、50年ごとに大師号をもらっており、昨年、法爾(ほうに)大師を宮内庁から頂戴したそうです。恥ずかしながら、法爾大師という大師号を授かった話は知りませんでした。それにしても、50年ごとに大師号をいただくとは凄いですね。

そして、泣不動縁起絵巻のダイジェストパネルがあり、それを使って、縁起の話をしてくれました。内容は以下のような感じです。

・三井寺の智興上人が死病に陥った。
・どうすれば病気が治るかを陰陽師・安倍晴明に尋ねると、弟子が身代わりになれば治るとのこと。
・その話を聞いて、ほとんどの弟子は黙っていたが、証空が身代わりになると名乗りでる。
・安倍晴明が折祷し、智興は元気になるが、証空が代わりに死病に陥った。
・証空は死ぬのは怖くないが、痛みを取り除いて欲しいと不動明王に祈る。
・不動明王は証空の志を称賛し、代わりに亡くなる。
・不動明王は地獄に連れて行かれるが、閻魔大王はその姿を見て、非礼を詫び、不動明王は生き返り、地獄を去る。

この話を聞いて、次の三つの疑問を持ちました。
(1) 密教僧なのだから、安倍晴明に頼まず、自分たちで祈祷すればいいのではないか。
(2) 不動明王も亡くなるのか。
(3) 何故、不動明王は地獄に連れて行かれたのか。

お堂の右側に、慈覚大師円仁の袈裟が展示されていました。法然は臨終の際、慈覚大師の袈裟を着たので、その袈裟であると判明すると、お寺ーの寺宝になると思いました。

次は別のお堂に移動。こちらでは泣不動縁起絵巻が一巻、全て展示されていました。それを見て、3番目の疑問が解消しました。何故、不動明王が地獄に連れて行かれたのか。それは、身代わりとなった証空が親に先立つという不孝の罪を犯したからです。

伝・平重衡寄進法然上人所持鏡も展示してありました。平重衡は東大寺大仏を焼き打ちした人物で、一ノ谷戦いで敗れ、護送中に法然上人へ渡した鏡と言われています。大仏復興の資材として東大寺に寄進されたが、大仏が結縁を拒否したため、炉に投げ込んでも溶けきらなかったと言われ、確かに一部だけ溶けています。しかし、大仏が結縁を拒否することはないと思いますので、実際は別の理由で一部が溶けていると思います。

それら以外にも、勢至菩薩像、秋葉権現像、金毘羅権現像などがあり、見所が多かったです。

これで終了かと思いましたが、もう一部屋ありました。冥界絵相三幅、「地獄浄土之図」、「閻魔王宮図」、「無間地獄之図」が展示してあり、阿弥陀三尊像も安置されていました。三幅の画はとても迫力があり、印象に残りました。

清浄華院は展示が充実しており、訪れて、本当に良かったと思いました。


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