本堂で一番印象に残ったのは、「小町百歳像」です。像は男性か女性か分からない姿で、ガリガリに痩せており、右手に杖、左手に籠を持っていました。小野小町は生没年不詳なのに、なぜこのような百歳像が造られたのでしょうね。小野小町のような美人でも年を取れば老いた姿になる、つまり無常を意味しているのでしょうか。
次は客殿に移動しました。こちらは安国寺恵瓊が建立したものです。堂内から見える「真隠庭」には、キリシマツツジが綺麗に咲いており、樹齢400年だそうです。

客殿には茶室があり、関ヶ原の合戦前に、安国寺恵瓊が石田三成、宇喜多秀家らと軍略を巡らせたといわれているそうです。狭い茶室を見て、武将たちの姿を想像しました。
最後は入口を入ってすぐ右側にあるお堂を拝観しました。こちらの像は廃仏毀釈で廃寺となったお寺から移動されたものです。
中央には、小町寺に安置されていた大きな玉章(たまずさ)地蔵(ふみはり地蔵)が祀られていました。小野小町は受け取ったラブレターをこの地蔵像の中に納めたので、そのように呼ばれています。しかし、江戸時代に像に穴を開けて、中の手紙を盗んだ者がおり、今は堂内に一通の手紙もないそうです。もし手紙が残っていれば、その価値は凄いものでしょうね。
お堂の側に「小町百歳井」がありました。こちらも他のお寺から移動されたものですが、井戸自体は移せないので、小町寺から井戸の囲いのみ移したそうです。

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