月刊致知5月号に掲載されている占部賢志さんの「小林秀雄先生の個人授業」より。

小林秀雄さんが宮崎県延岡市で講演会を行った時、占部さんはホテルで一時間半程小林さんの帰りを待って、戻ってきた時に以下の質問をしました。

先生は、歴史を知るとは自己を知ることだとおっしゃっていますね。この意味が今ひとつ分からないのです。どうして自己を知ることになるのでしょうか。

小林さんはしばらく考え込まれ、以下のように答えました。

君は歴史が自分の外側にあると考えますか。君は記憶を持っているだろう。その記憶は君と別ものではないでしょう。一秒前の君と今の君と別ではないじゃないか。君の過去の何時を取り出してみても別人ではあり得ない。君の記憶はすべて君自身なのだ。君が今ここにいるのは君に記憶があるからなんだ。記憶がなければ君は存在しませんよ。

君のこの身体は誰が生んでくれたものですか。君のおっかさんだろう。じゃあ、この君を生んでくれたおっかさんのことを考えてみたまえ。おっかさんのすべては君のこの身体の内を流れているんだぞ。

そうすると、君がおっかさんを大事にするってことは、君自身を大事にするってことにもなるじゃないか。

君のこの肩にはおっかさんのすべてのものがかかっているんだ。じゃあ、もっと昔のことを考えてみたまえ。千年前のことだって同じだ。君のこの肩には日本の千年の歴史の重みがかかっているんだよ。

いいかい、君の身体には祖先の血が流れているんだよ。それが歴史というものなんだ。そこをよくよくかんがえなくちゃいけない。

誰でも宿命をもってこの世に生まれてくるんです。そのことを自覚しなければだめだ。そして、生きて来た責任を果たさなければならないんだよ。
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