深川不動堂で頂いた「慈眼」から要約。

坂村真民さんの詩「悟り」に次のような一節があります。
「悟りとは、自分の花を咲かせることだ。どんな小さな花でもいい、誰のものでもない独自の花を咲かせることだ」

花を咲かせるためには適切な時期に種を蒔き、そして毎日、水を絶やさずお日様に当て、丹誠を込めなければなりません。お水とお日様とは、日々の祈りを意味します。

一生懸命に祈る姿は、あらゆる生きとし生けるもの、自身の存在に感謝する、何より美しく尊い行為と言えます。そして、手を合わせる合掌には、仏を意味する右手に、衆生を意味する左手を重ね、仏と自分が一体となって神聖さと不浄を照らし合わせ、真実を求めるという意味があります。

先日、内仏殿八体仏の御宝前で、幼い子供が一生懸命に手を合わせている姿を目にしました。その小さな後ろ姿は、とても神々しく映りました。

***

手を合わせている姿が神々しく感じるのはそのとおりですね。境内で歩いている時、手を合わせている姿が神々しく、思わずハッとすることがあります。
タグ