書院に上がると中央に29歳で出家した時の姿を表した建礼門院徳子の像が祀られていました。建礼門院徳子は平清盛の娘で高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母であった人物です。壇ノ浦の合戦で平家が敗れた時、建礼門院は入水しますが、源氏に獲られられ、その後、出家しました。
書院の右横には庭園がありました。銀閣寺の庭を造る時に試作的に造った庭だそうです。庭には雪が残っており、冬の庭という感じでした。それぞれの季節ごとにその姿を見てみたいと思いました。

書院の左には後白河法皇が大原にいた建礼門院を訪れる場面(大原御幸)を描いた画がありました。その画では建礼門院は暖かく後白河法皇を迎えています。普通ならば、後白河法皇は平家追討と命じた張本人であるため、怒りの表情になるはずですが、建礼門院は出家して、仏の心を持っているので、暖かく迎えているのだそうです。
書院で出て、本堂でお参りしました。ご本尊は秘仏の准胝観音像だそうです。

次は収蔵庫を目指しましたが、その途中、建礼門院御塔がありました。建礼門院が出家した時の髪の毛が納められていると言われているそうです。
また平安の滝もありました。八功徳水と呼ばれ、飲むことができる京の名水なのだそうで、私も滝から落ちてくる水をいただきました。
収蔵庫で寺宝を拝観。建礼門院の画像がありましたが、黒ずんでいました。これは源氏の目をはばかり墨を塗って隠し伝えられてきたからだそうです。
その左隣に独楽(こま)で遊んでいる安徳天皇の画像がありました。安徳天皇は三歳で即位し、八歳の時に壇ノ浦で亡くなられますが、その生涯のほとんどを船の上で過ごし、独楽で遊ぶこともできなかったそうです。ですので、せめて画の中では独楽で遊んで欲しいと願って描かれたのだろうと感じました。
また長楽寺は時宗のお寺ですので、一遍上人を始めとした遊行上人の像が祀られていました。
頂いた案内を見ると長楽寺は宿坊をやっているそうなので、一度、宿泊してみたいと思います。

独楽で遊んでいる安徳天皇の画像が案内に使われています
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