親父も山に連れて行ってくれましたが、あくまでも見習い、見て習うんです。言葉で教えることはない。間違ったら厳しく叱られたり叩かれたりしましたが、山で生きていくための親心だと思って、我慢して耐えてきました。
ですから、一人前になるまでは時間がかかるんですよ。長い時間がかかるのですが、そうやって身についたものは一生離れません。
そうすると自然と一体となれるんです。すると、なんでも取り過ぎず、次の世代にも残すような採り方がでできるようになります。もっといえばそれは自己規制であり、足るを知る生き方です。
そこには山の神への信仰があるわけです。白神の山にあるものはすべて山の神様からの授かり物だと。ですから、たくさんある場所に行って、誰も見ていないからといって、それを採り尽くすようなまねをしても神は絶対に見ていると。きっと罰が下るから、そういうことはするなと教えられてきました。だから、白神山地の恵みはいまも尽きることなく山の宝となっています。
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