法然院では約1時間の法話を聴講しました。以下に印象に残った箇所を書きます。しかし、法然院で法話を聞くのは初めてで、当然全てを理解したわけではありませんので、分かり難い、あるいは誤っている箇所があるかもしれません。法然院の法話は素晴らしいので、是非、直接聴講されることをお薦めします。

・良い人、悪い人がいるのではない。人は縁によって良くなったり、悪くなったりする。仏と比べれば、人は皆、愚かである。善悪の基準は800年前は仏であったが、現在は法律である。

・日本人は無宗教というが、それは特定の神仏を信じていないということ。ほとんどの人はご先祖を敬う先祖教。

・今までは家、村の宗教。これからは個人の宗教が必要になってくる。

・日本のお寺は
(1) 先祖供養
(2) 現世利益
(3) 観光
の三本柱のどれかで今日まで残ってきた。

・法相宗と天台宗の違いは、法相宗では仏になれる人となれない人がいると考える、天台宗は全ての人が仏になれると考える。どちらが正しいのではない。どちらを信じるかである。

・法相宗、天台宗では仏になるまでにとてつもなく長い時間が必要と考えるが、真言宗は即身成仏で直ぐに仏になれると考える。

・薬師如来は病気を治すのが目的ではなく、修行ができるように病気を治す仏である。

・善導大師は念仏の時は集中しろという考え。一方、法然はただ念仏を唱えればよいという考え。

・自力では自分で仏になれると考える、他力ではなれないと考える。

・浄土宗では亡くなる時に阿弥陀如来が来ると考える。つまり、お願いの念仏である。浄土真宗では念仏を唱えた時に既に阿弥陀如来につかまっていると考える。つまり、感謝の念仏である。

・本当にそうなのかは誰にも分からない。宗教とはそういうもの。それを信じることにより、前を向ければよい。その人によって、意味があればよい。

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「阿弥陀如来の極楽浄土が本当にあるのかは誰にも分からない。しかし、それがあると信じることによって、前を向ける人がいるならば、その教えに意味がある」という内容が一番心に残りました。

私は今まで、「○○は正しい、○○はおかしい」と考えていましたが、正しい正しくないではなく、それを信じることにより、幸せになれる人がいるということが大切なのだと思うようになりました。

でも、例外はあります。お金儲けが目的で、明らかにおかしなことを言っている場合には、それは間違えているとはっきり言う必要があります。
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