「仏像探訪 戦国武将が愛した伝説の仏像たち」という本に「淀殿の念持仏」「石田三成の念持仏」が祀られているお寺として宗安寺が紹介されており、それを見て以来、いつか訪れたいと思っていましたが、今回、実現することが出来ました。

寺務所で200円の拝観料を払い、今回仏女ブロガーとして訪問した旨を伝え、写真撮影の許可をお願いしたところ、了承を頂きました。宗安寺様に感謝です。


本堂外観

お堂に入ると傅大士坐像が祀られていました。弥勒菩薩の下生と崇められ、転輪蔵の創始者だそうです。

奥の部屋に入ると仏像がたくさん安置されていました。右から拝観していくと、まずは江戸時代に寄進された西国三十三箇所観音像。その隣には明王像と書かれた像が祀られていました。明王像は体が青い色で右足を上げていたので、ウスサマ明王だと思いましたがどうでしょうか。その隣には韋駄天像が安置されていました。

その隣の部屋にも仏像がたくさん安置されています。こちらも右から拝観していくと、まずは弁財天と十五童子像。隣に色彩されて特徴的な弁財天坐像が祀られていました。滋賀県は竹生島があるので、弁財天信仰が盛んだったんでしょうね。

その隣には善光寺式阿弥陀三尊像が祀られていました。善光寺式阿弥陀三尊の特徴として、
・三尊が一つの光背に納まっている
・阿弥陀如来の左手が刀の印相をしている
・脇侍の観音、勢至菩薩が胸前で両手の掌を水平にして重ねている
が知られていますが、もう一つ、臼(うす)に乗っているという特徴もあります。本田善光は難波の池で善光寺阿弥陀を拾い、信州の自宅に持ち帰り、臼の上に安置したという逸話に由来しています。


善光寺式阿弥陀三尊像

善光寺式阿弥陀三尊像の隣に来迎形の阿弥陀如来坐像が祀られており、その隣に今回の訪問における一番の目的である石田三成ゆかりの千体仏、地蔵菩薩立像が安置されていました。

まずは石田地蔵尊と呼ばれる地蔵菩薩立像を拝観します。像の前に立ち、そのお顔を拝観すると、若く、頭が良さそうな印象を受けました。私が石田三成から想像するイメージの一つに頭が良いがありますので、この像は三成をよく表しているのだろうなと思いました。



また目、特に左目がとても綺麗で、澄んだ目をしているなと感じました。石田三成は義の人と言われています。私欲のためでなく、豊臣家のことを思い、秀吉から受けた恩を返すために徳川家康と合戦に及んだと言われれています。以前は「そんなことはないだろう。三成だって私欲はあったはずだ」と思っていましたが、石田地蔵尊の澄んだ目を見ていると三成は義の人で、純粋に豊臣家の為に戦ったんだろうなと思うようになりました。



次は千体仏。厨子の中にたくさんの小さな阿弥陀如来立像が並んでいます。なぜ三成は千体仏を念持仏としたのでしょうか。最初に紹介した仏像探訪本には「三成公が千体仏を大切に祀ってきたのは、大勢の人(領民)を救って欲しいという気持ちからではと想像されますね」と書かれています。



私も同じ感想を持ちました。義の人・三成は自分以外の人の幸せを願って、千体仏にお参りしていたと思います。

二部屋に祀られていた仏像を拝観した後は「彼岸白道の庭」と呼ばれる庭の鑑賞です。庭は二河白道の教えを表すために白砂利と赤砂利があり、白砂利は水の河、赤砂利は火の河を意味しています。


渡り廊下の下あたりが赤砂利になっています

二河白道ですので、此岸から彼岸に渡ることができ、彼岸には東照大権現家康公位牌堂がありました。ということは、宗安寺には石田三成ゆかりの仏様と徳川家康が祀られているということですね。生前は敵同士として戦いましたが、亡くなった後は仏様の下で仲良くしていると思います。

本来ならば、最初に本堂を訪れるべきだったかもしれませんが、最後に本堂を拝観しました。少し遠い場所に来迎形の阿弥陀三尊立像が祀られており、案内によるとこちらの像が淀君の念持仏と考えられている像だそうです。

先月、増上寺の塔頭である最勝院で、江の念持仏と伝わる持蓮華蕾中阿弥陀如来立像を拝観しました。つまり、江も淀君も同じ阿弥陀如来を念持仏としていたということになります。江と淀君は徳川家と豊臣家に分かれることになりましたが、平和な世の中の実現という同じ目的を同じ阿弥陀如来に願っていたのだろうと思いました。

訪問日:平成23年10月7日


大きな地図で見る