集合場所の彦根駅東口からバスに乗り、仏女ブロガーの旅がいよいよスタートです。今回の旅では、一日目は滋賀県観光交流局のおすすめコースを参加者全員でめぐります。まず最初に訪れるお寺は五百羅漢で有名な天寧寺です。天寧寺は彦根駅から近いですので、乗車して五分ほどでバスは天寧寺に到着しました。

到着したバスの中からお寺を見るとNHK大津放送局の方がカメラを回しているのが見えました。本日のツアーにはNHKの方が同行し、その内容が滋賀県内だけですが夕方のニュースで放送されました。そのニュースを旅館で見ましたが、私も少しだけ映っていました。

バスから降りると、五百羅漢像が祀られている仏殿(羅漢堂)に案内してもらいました。堂内に入ると、正面と左右に五百羅漢の木像が所狭しと並べられており、正に圧巻の風景でした。



まずは全員座って、御住職のお話を伺います。正面には宝冠釈迦如来像が祀られ、十大弟子がその周りに安置されています。十大弟子の中でも特に重要な摩訶迦葉尊者と阿難尊者が脇侍として祀られており、その二体の像はサンフランシスコで開催された万博博覧会に展示されたことがあるそうです。



周りには五百羅漢像が文字通り五百体、そして、五百羅漢像よりも少し大きな十六羅漢像が祀られています。よって、お釈迦様(1体)、十大弟子(10体)、五百羅漢(500体)、十六羅漢(16体)の合計527体が祀られています。私は五百体全てが現存していることに価値があると感じました。東京にも五百羅漢寺という木像の五百羅漢像を祀るお寺がありますが、五百体全ては現存していません。

なぜ、天寧寺に五百羅漢像が祀られるようになったか。それには以下のような話があります。
1819年、若竹という腰元が不義の子を宿しました。井伊直中は相手の名を詰問したが、若竹は口を固く閉ざし、結局、お手打ちになりました。後になって、若竹の相手が長男・直清であることが分かり、自分の孫になる子を宿した若竹を葬ったことに心を痛め、お坊さんに相談しました。すると「五百のお寺を建立しなさい」と言われましたが、財政的に無理ので、代わりに五百羅漢像を造りました。

江戸時代には五百羅漢信仰が流行し、自分の亡くなった肉親に似た像に会えると言われていました。ですので、孫の顔を探し求めるために像を造ったとも考えられるそうです。私は孫を葬ってしまった話を初めて聞いた時、孫の顔を見たいために五百羅漢像を造ったのだと思いましたし、今でもそう思っています。天寧寺は井伊家の私的なお寺だったそうなので、家臣の前では厳しい表情をしていなければならない直中も天寧寺においては孫を思う一人の人間になっていたのではないかと思います。

御住職の話が終わった後、堂内を取材(?)しました。決められた時間の中で私が一番良いなと思ったのは以下の像です。仏女ブロガーとしてのお寺訪問で少し緊張していましたが、「固くならなくていいよ」と言ってくれているように感じました。



また、堂内で座禅ができるようになっており、五百羅漢像の安置されるお堂で一度座禅をしたいなと思いました。



次は仏殿の裏にある「らかん石庭」の拝観ですが、仏殿の裏側に立派な布袋さんの像が祀られていました。




おへそにさわればヘソクリができ!扇にさわれば福来たり!袋にさわれば病気を封じる!という福徳円満の神様です。

と案内に書かれていましたので、私を含めて皆さん、布袋さんに触れていました。

らかん石庭は、お釈迦様と十六羅漢がいらっしゃる庭だそうです。中央の大きな石がお釈迦様を表しており、その周りの十六個の石が十六羅漢を表しています。お釈迦様の石とその前の小さな石はインドの霊鷲山のものだそうです。私はその小さな石はお釈迦様の子供である羅怙羅(らごら)尊者だと思いましたが、どうなんでしょうか。



境内には井伊直弼供養塔もあり、説明をしてもらいました。滞在時間は四十分程度でしたが、天寧寺を拝観するには時間が短く思え、もう少し羅漢さんと向かい合いたいなと思いました。

訪問日:平成23年10月6日


大きな地図で見る