古書とは単に古い本、古典の「典」は原理原則という意味だから、時代を越えて通じるものでなければならない。古典という限りは現代に通用し、人生に役立たなければダメだ。
ある勉強会に一度行ってみたら「論語」の勉強を熱心にしているんですよ。ところが、その後に「実は人間関係に悩んでいて…」と言う人がいた。そんなの、おかしいじゃないですか。
同じように「孫子」を読んで経営に困っています。資金繰りに困っています、というのも嘘だと思うんです。それは字面を追っているだけで、本当に読んでいない。
単に勉強好きな人はそれでいいでしょうが、僕ら事業家はそんな勉強で終わらせてはダメです。
やはり多くは古書になっているんでしょうね。古典になっていないから、人生に生かせない。
***
たくさんお寺めぐりをしている人の中にも人間としてどうかなと思う行動をとる人がいます。以前から、そんなのはおかしいじゃないかと感じていました。
歴史好き、美術鑑賞が好きな人、単にリフレッシュしたいだけの人はそれでもいいのかもしれませんが、少しでも仏の智慧を学ぼうとしている者、つまり、お寺巡りを通して一ミリでも自分を成長させようと思う者は、当たり前ですがそれではダメです。
カテゴリ
タグ