月刊致知9月号に掲載されていた栗原剛さんによる「欲の漏れ出る穴を塞ぎ、内なる生気を蓄えよ」より。

佐藤一斎の著した「言志四録」に「経書を読むは、即ち我が心を読むなり」という一節があります。
書物を読む時は、その内容を単に知識として詰め込むのではなく、自分自身の心を読む姿勢がなければならない。古典をどんなに深く読みたいと願っても、まずは自分の身の丈でしか読むことはできない。その時点における自分の人生経験や心の豊かさに応じたものしか、受け取れはしないのです。

ある書物を師とする限り、その対象に敬意をもって接し、全身全霊を込めて当たらなければ何も気づかせてもらえない。書物を通じて自分自身を読み、また一歩でも高めようとする姿勢がなければ、本当に生きた読書や学問にはならないということでしょう。

ですから、読んだことをその後どう現実に生かすかと悩む前に、まずは読む時の姿勢こそが問われているのだ、とも思うのです。
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