以下、印象に残った展示を紹介します。
・聖観上人坐像
聖観上人は甚目寺の中興の祖ですが、出身・生没年とも不明だそうです。また展示されている像以外には肖像画も伝わっていないというとても不思議な方です。
一般に上人像はその人の身体的特徴を表していると思うので、どこか特徴的なところはないかと見ていましたが、耳の形が特徴的だと感じました。少し尖った感じで、実際、このような形だったのでしょうか。
また隣に覚鑁上人坐像も展示されていましたが、神像によくあるように両手を衣で隠していました。真言宗智山派のお寺では、弘法大師像と覚鑁上人像がよく安置されていますが、両手を衣で隠した像はあまり記憶がありません。
・一遍上人
1283年に一遍上人が東国から京に戻る途中に甚目寺を訪れたそうです。遊行上人縁起絵模本には、その時の様子が描かれており、供養で頂いた食料を多くの人と分けている場面が印象に残りました。
また、踊り毘沙門と呼ばれる毘沙門天についても展示がありました。毘沙門天が富豪に食料を供養するように夢告したそうで、一遍上人がそのことに感謝をする場面を描いていました。踊り毘沙門とは、一遍上人に混じって踊ったという伝説があるので、そう呼ばれているそうですが、残念ながら、像は明治に焼失しています。
・愛染明王像
今回の展示では、一般の解説とは別に子供向けの解説もありました。愛染明王に関しては以下のような解説が書かれていました。
愛染というのは、何かをどうしても欲しくて、もうこれしか考えられなくなること。この「欲しい」というエネルギーをそのために努力するエネルギーに変えてくれるのがこの仏様です。
分かりやすく書かれているので、大人が読んでも、十分に役に立ちます。
愛染明王坐像は素晴らしい像で、しばらくその姿を眺めていました。両目の形が違っており、右目は少し細く、左目は見開いており、それがかっこよさの要素の一つかなと感じました。
隣には、愛染明王胎内仏が展示されていました。胎内仏は丸い形をした合子に入っていたため、色が完璧に残っています。肌の色は赤く、髪は金色です。先程の愛染明王坐像が造られたと考えられるのは1278年以前で、胎内仏も一緒に造られたと考えられるそうなので、今から約700年前の像を造られた当時の色彩で鑑賞できるとは感激です。
この胎内仏は本体に再納入される予定なので、今回の展示が最初で最後の公開になるそうです。
・仏涅槃図
仏涅槃図の解説を読んでいると、「日本人の女性もいる」と書かれていました。今まで、多くの涅槃図を見ていますが、日本人の女性が描かれた涅槃図は見たことがなかったので、興味深く見ました。
でも探しても分かりません。解説をもう一度読むと図の左下に和服の尼僧が描かれているとあったので、そのあたりを見ると、確かにいらっしゃいました。
・十王像
十王と奪衣婆像が展示されていました。十王像の帽子(?)の部分に化仏があり、化仏がある十王像は珍しいのではと感じました。
また、業の秤が一緒に展示されていました。人と山が天秤にかけられており、人間側に傾く、つまり、人間のほうが山より重くなっています。これは罪の重さが山より重いことを表しているそうで、恐ろしさを感じました。
・仁王像
仁王像は阿形が348.0センチ、吽形が357.7センチと大きな像です。やはり、大きな像は迫力があります。この像は修復調査により、墨書から福島正則の奉納と分かりました。この像を福島正則はどのような思いで見たのだろうと色々想像します。まさに名古屋にあるべき仏像です。
・阿弥陀如来像、不動明王像、十一面観音像
上記の像が三尊形式のように展示されていました。阿弥陀如来像は説法印で、右手は手のひら、左手は手の甲をこちら側に向けていました。また胸に卍のマークがあったのが珍しく感じました。
不動明王像は歯が出ており、髪の部分がつるつるなので、異形に感じます。十一面観音像は天神社にあったという記録があり、本地仏だそうです。本地仏といえば、山梨県の慈眼寺の記事に書いたように三道を確認しなければなりません。早速、三道を確認しましたが、ありました。本地仏だから三道がないとは言えないようです。
以上、紹介しましたが、これ以外にも興味深い展示が数多くありました。夏休みの宿題なのか熱心にメモをしていた小中学生が多かったのも印象に残りました。

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