薬師如来像は丸ノミによる痕でおおわれており、白毫、三道がないため、未完成の像のように見えます。未完成の像なのか鉈彫りのようにわざとこのように完成させたのかは分かっていないそうです。
この像には以下のような伝承があります。昔、釜無川の氾濫により、薬師如来像を祀るお堂が流され、像は土の中に埋もれてしまいました。そして江戸時代、ある僧が野宿をしていると夢の中で薬師如来像が埋もれていると伝えられました。夢を信じて、僧が地面を掘ると、薬師如来像、地蔵菩薩像2体、十二神将像がでてきたそうです。
写真のみで見える場所に祀られていませんでしたが、お寺には十二神将があります。しかし、僧形なので、本当に十二神将像かどうかは謎だそうです。
先ほど、薬師如来像には三道、白毫がないと説明しましたが、その理由として、この像が諏訪明神の本地仏として造られたからではないかという説があるそうです。薬師如来は諏訪大社下社春宮の本地仏で、一般に神社の本地仏には彩色がなく、三道をつけないのだそうです。興味深い説ですね。これから仏像を拝観するときは三道があるかどうかを確認しようと思います。
また、この像は歴史の生き証人でもあるそうです。戦国時代、慈眼寺のある辺りは大井氏が治めており、大井氏は武田信虎と争っていました。大井氏の治める土地は肥沃でしたので、信虎は川の流れを変え、その土地をダメにしました。その時の影響で、薬師如来を祀る薬師堂は流されてしまいました。ですので、薬師如来像はかってこの地で大井氏と武田氏の争いがあったという歴史の生き証人となります。
薬師如来像を安置する厨子の隣には神像と思われる像が祀られていました。両手は失われていますが、形から手を上にしていたと考えられ、また左足が前に出て、足がクロスしています。どのような像かまだ分からないそうで、慈眼寺には謎を秘めた仏像たちが祀られています。

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