円楽寺に到着すると、お堂にあげて頂き、説明を受けました。修験道のお寺だったそうで、近くに五所神社、六角堂、行者堂があったそうです。

また、六十六部廻国聖の巡拝霊場だったそうです。「六十六部廻国聖」については初めて聞く言葉でしたが、調べてみると、日本全国六十六カ国(武蔵国、相模国など)を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教行為だそうです。そのような行為は主に修験道の行者が行っていましたが、明治7年に修験道と共に廃止されたそうです。

次は役行者像が祀られている部屋に移動しました。役行者像は平安後期の像で、墨書のある役行者像としては最古のものとして知られています。

部屋には、中央に役行者像、向かって右側に役行者のお母さん、左側に八大童子の一人である童子像、不動明王像が祀られており、一段下がった場所に、前鬼、後鬼像が安置されていました。

役行者像は最古の像であり、役行者像のイメージが固まる前のためか、一般の役行者像とは随分違います。口を大きく開けた憤怒の表情で、倚像ではなく、左足を踏み下げた像です。

童子像は神像形式であり、二荒山神社に安置されているものに似ているそうです。

以上、役行者像、童子像を説明しましたが、一番インパクトがあったのは、前鬼、後鬼像です。部屋に入って、その像を見た瞬間、全員が驚いたぐらい、インパクトのある像でした。こんな凄い仏像があるとは、山梨県は凄いです。





次は隣の部屋(本堂)に移動しました。右側に胎蔵界曼荼羅があり、中央の赤い部分は子宮だそうです。子宮にいるのは子供であり、人の中に仏がいるのを表しているのだそうです。ご本尊はお釈迦様でした。

円楽寺は六十六部廻国聖の巡拝霊場だったため、写経をお寺ですることができ、また阿字観をする部屋もありました。円楽寺には仏像を拝観する目的だけではなく、写経や阿字観目的でも訪れたいなと思いました。
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