ツアーの途中で、新潟観光協会発行の「新潟県の木喰仏ガイドブック」というパンフレットを頂きました。そこに以下のように書かれていました。

・はじめは微笑んでいなかった?

 柳宗悦によって名付けられた「微笑仏」が代名詞となっている木喰仏だが、顔に笑みが浮かぶようになったのは晩年、木喰上人が80歳を越えてからのこと。事実、64歳から68歳まで滞在した佐渡に残されている仏像に、ほとんど微笑はない。

 こんな説がある。83歳で郷土に帰った折、四国堂の再建を依頼されるが、この寄進をめぐって民衆の意見が割れ、人々の和が乱れた。木喰上人は心を痛めつつまた放浪へと戻るが、この一件を境に仏像は笑みを湛え始め、結果、この後向かった越後には微笑仏の傑作が多く残されることになった。

 辛いこともあるのが人生、ならばこそ笑って生きようという自身への、そして人々へのメッセージではなかったか。笑いを刻み続けた木喰の精神は、庶民に尽くし、常に低く垂れていた彼自身の頭に反して、とても高い。

上記の文章を読んで、山梨県の四国堂に訪れたいなと思いました。以前、記事に書きましたが、埼玉県の円空仏を拝観するツアーに参加し、その後に、岐阜県で円空仏を拝観する機会がありました。その時、岐阜県こそ、円空とは何者で、円空仏とは何かが理解できる場所だと感じました。

同様に、木喰を知るには、四国堂は避けることのできないお寺だと感じます。四国堂を訪れ、木喰上人の思いを感じ取りたいと思います。
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