慈悲深い夫婦と一人の娘が住んでいました。ある日、娘は村人が蟹を捕らえているのを見て、その蟹を買い求め、逃がしてやりました。また、娘の父が田を耕していると蛇が蛙を呑もうとしており、それを見て、父は「もしおまえがその蛙を放してやってくれたなら娘の婿にしよう」と言いました。すると蛇は蛙を放し、姿を消しました。
その夜、男が現れ、昼間の約束を守るように迫りました。父は娘の嫁入り支度を理由に三日後に来るように言いましたが、どうすることも出来ません。
約束の日が来ました。雨戸を堅く閉めて約束を守ろうとしない父娘に対して腹を立てた男は蛇の姿になって荒れ狂います。
娘がひたすら観音経を唱えていると観音様が現れました。間もなく雨戸を打つ暴音は消え、夜が明けてみると戸外には、ハサミで寸々に切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残されていました。
親子は観音様も守護に感謝し、蟹と蛇の霊を弔う為に御堂を建て、観音様を祀りました。このお寺が蟹満寺です。
以上の話を読むと慈悲深い親子が観音様に助けられた話だという感想を持ちますが、よく考えると少し変ですね。なぜ蛇は殺されなければならなかったのでしょうか。蛇が蛙を食べるのは自然なことですし、父親が約束したから娘をもらいに来たわけなのですから。
蟹満寺縁起が伝えたいことは何なんでしょうか。回答は一つではなく、色々考えられると思います。まず父親に関しては、「嘘をつくな」だと思います。仏教には方便というものがありますが、方便はお釈迦様のような方が使うのもので、衆生が使うものではありません。
蛇に関しては「こだわるな」だと思います。確かに父親は娘をあげると言いましたが、その気がないことが分かったならば、早々と諦めるべきです。いつまでもこだわっていてはけません。
他にもいろいろ考えられると思いますが、皆さんはどう思いますか。
カテゴリ
タグ