境内に入ると大仏の拝観希望の方は受付へのようなことが書かれていましたので、受付で拝観を申し込みました。
まずは大仏殿から拝観です。大仏殿という名前のとおり元々はこちらのお堂に大仏様は祀られていましたが、重文に指定されたので宝蔵庫(新大仏殿)に移動しました。お堂には代わりの釈迦如来像が祀られていました。大仏殿の裏の岩に岩屋不動尊が祀られており、堂内からそのお姿を拝観しながら、話を聞きました。

源平合戦で大仏をはじめとして東大寺が焼損し、その再興のため、重源上人が全国に七箇所の別所を開創しました。その中の一つである伊賀別所が新大仏寺です。
堂内の左右には不動明王の頭部の石仏が祀られていました。これは不動明王像から頭部がとれてしまったので、祀っているそうです。不動立像をよく見ると確かに頭部だけが新しいです。不動立像の高さは六メートルで、大仏の台座用の岩を切り出した後に祀られているそうです。
次は宝蔵庫に移動しました。一階には石の台座が置かれていました。そして二階に上がると大仏様が祀られていました。頭部は鎌倉時代で、快慶の作です。それ以外は江戸時代に修復されたものです。案内によると今は東大寺と同じ毘盧遮那仏ですが、当初は阿弥陀如来像だったそうです。重源上人はなぜ別所に毘盧遮那仏でなく、阿弥陀寺像を祀ったのでしょうか。やはり、当時は阿弥陀信仰(浄土信仰)が盛んだったんでしょうね。
奈良の大仏と比較するとお顔は新大仏寺のほうがハンサムに感じます。これはやはり快慶が造ったからでしょうか。案内の方に尋ねると毘盧遮那仏と大日如来は同じ仏様だそうです。また東大寺を造ったのは国民の幸せを願ったものなので、毘盧遮那仏は現世利益の仏様なのだそうです。
重源上人像も祀られていました。国宝・重文の重源上人像は全国の四体しかなく、東大寺、兵庫・浄土寺、山口・阿弥陀寺とこちらだそうです。東大寺の重源上人像は昨年、東大寺と東京国立博物館でお会いしましたが、今回、新大仏寺でもお会いできて良かったです。
また変わった表情をした一対の狛犬も安置されていました。見れば見るほど不思議な表情で長い間眺めていても飽きませんでした。
今回は伊賀別所の新大仏寺を訪れましたので、播磨国の別所である浄土寺、周防国の別所である阿弥陀寺にもいつか訪れてみたいです。
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