本日は神奈川県立歴史博物館で開催されている「総持寺 名宝100選」を見に行きました。午後1時30分から展示解説があり、それに合わせて訪れました。
展示は大きく三つに分けられており、
(1) 鶴見に移転する前の石川県にあった頃の文化財
(2) 鶴見に移転してからの文化財
(3) 仏具
となっていました。

石川県にあった総持寺は明治三十一年の大火災で建物の殆どを失います。再建するにあたり、曹洞宗の大本山である永平寺と総持寺がともに北陸にあるよりも海外を含め多くの人に教えを伝えることができる関東に拠点を移したほうが良いということになり、明治四十四年に総持寺は鶴見の地へ移動しました。明治四十四年は1911年なので、今年は移転してから100年ということになります。

入ってすぐに鎌倉彫前机があり、これは特別な行事がない限り入れない仏殿に安置されており、入れても近くで見ることはできないので、今回が近くで見れる貴重な機会だそうです。

また鎌倉彫前机の正面に展示されている板戸も総持寺の境内案内で紹介されないものなので、貴重なものだそうです。

・鶴見に移転する前の文化財

前田利家と妻のまつの肖像画が展示されていました。総持寺は加賀前田家の領内にありましたので、江戸時代は前田家が総持寺の大スポンサーだったそうです。
まつの肖像画は国の重文ですが、利家の肖像画は横浜市の指定文化財と差があります。これは利家の肖像画はたくさんありますが、まつは女性であるため肖像画は少なく、またまつの生前に描かれたことからより高く評価されるそうです。

個人的には提婆達多の画像が印象に残りました。仏教では悪人とされる提婆達多ですので、画像などはあまり見た記憶がなく、かつ大きな画像だったので印象に残りました。

鶴見に移転した時のご本尊であった釈迦如来坐像が展示されていました。中国で造られた作だそうで、清涼寺式と言われている像と同じ衣でした。

特別展示として、通常は秘仏である二体の観音像が展示されていました。一体目は総持寺祖院観音堂の本尊です。石川県に総持寺を最初に建てる時、その土地には既にお寺がありました。そのお寺に祀られていたのが今回の観音像です。観音堂は明治三十一年の大火災でも焼失しなかったそうです。

もう一体は大船観音寺のご本尊である観音立像です。大船観音寺は大きな白衣観音像で有名ですが、ご本尊は平安時代の聖観音像でした。

・鶴見に移転してからの文化財

石川県にあった総持寺は火災で大半が焼失した為、移転した当時、仏具や仏像が不足していました。そこで財界人などがそれらを寄贈しますが、特にたばこ王と呼ばれた村井吉兵衛からの寄贈が多かったそうで、今回の展示でも村井吉兵衛からの寄贈品が多数展示されていました。

展示リストを事前に見た時、蔵王権現など曹洞宗にあるのが不思議な仏像が挙げられていたので不思議に思ったのですが、上記のような理由があったことを知りました。

仏像の展示の中では、蔵王権現像が良かったです。平安時代作で、像高も約170センチと大きく、立派でした。

移転80周年を記念して加山又造により描かれた散華が展示してありました。散華には、黒百合、白百合、桜、水仙、薔薇が描かれており、それぞれ、石川、神奈川、京都、福井の県花、横浜の市花です。石川県は総持寺が元あった場所、神奈川県、横浜市は現在、総持寺がある場所、京都府は道元禅師が生まれた場所、福井県は永平寺がある場所で、それぞれの画にはきちんと意味があります。

棟方志功の釈迦十大弟子屏風も展示されていました。各図それぞれ縦一メートル、横50センチの立派な版画です。十大弟子の両脇に仏様が描かれていたのでどなたかと思いましたが、文殊菩薩と普賢菩薩だそうです。

・仏具

総持寺はお坊さんが修行をする場所なので、最後の部屋には現在も使われている仏具などが展示されていました。その中で、ビニールで作られた草履が印象に残りました。実際、托鉢などに出るときにはこのビニールの草履を履いているそうで、草履を作る授業もあり、履いているのは自身による手作りの草履だそうです。今度、総持寺のお坊さんを外で見かけることがあれば、足元をチェックしたいと思います。


タグ