慈悲は仏教における最も大切な教えの一つです。似たような言葉に「慈愛」という言葉がありますが、何故、慈悲には「悲しみ」という字が含まれているのでしょうか。

月刊致知4月号に次の文章が掲載されていました。

 大きな悲しみというのは、大きな優しさにつながっていると私は思うんです。それを仏教では「大慈大悲」といいますが、明恵、道元、親鸞、法然…、皆そうですよ。少年の日にそういう大きな悲しみに出合っているんですね。

上記の文章を読んで、慈悲を代表する観音さまに関する以下の話を思い出しました。
 観音菩薩と勢至菩薩は菩薩になる前、人間の兄弟でした。二人は両親と生き別れ、とても貧しい生活を送っていました。

 ある時、悪い男が二人の元に来て、「おまえたちの両親はある島に住んでいるので、そこに連れて行ってやる」と言いました。二人は大喜びして、男の船に乗り込み、ある島に到着しました。二人は船から降りると、すぐに両親の名前を呼びながら島中を探し始めました。それを見た悪い男は一人船に乗り、島を離れました。

 その島は無人島で、おまけに食べる物もなく、やがて、騙されたと分かった二人は空腹と疲れで倒れてしまいました。

 弟(勢至菩薩)は、「我々はなぜ、小さい頃に両親と生き別れる、日々の食べる物にも困る、最後は人に騙されるという悲しい目に遭わなければならないのだろう」と嘆きました。

 それを聞いた兄(観音菩薩)は、「我々はそのような悲しい思いをする人々を救う菩薩になろう」と言い、それを聞いた弟はうなずき、二人は目を閉じました。

大悲は大慈につながる、海援隊の贈る言葉の歌詞にも
 人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから
とありますね。
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