金沢文庫で開催されている特別展「もうひとつの鎌倉文化 金沢龍華寺の聖教と秘宝」に行ってきました。

鎌倉には密教寺院である鶴岡八幡宮寺がありましたが、廃仏毀釈のため、経典などは残っていません。また金沢文庫の称名寺は鎌倉幕府滅亡と共に衰退したので、中世までの経典しか残っていません。そのような中、龍華寺には近世までの経典が残っており、東国における密教文化を知るにはとても重要なのだそうです。しかし残念ながら私は経典などは分かりませんので、展示されていた仏像についてのみ書きたいと思います。

展示では三体の仏像が並んで展示されていました。旧本尊である弥勒菩薩坐像、本尊である大日如来坐像、天平仏である脱活乾漆菩薩坐像です。これらは後ろからも拝観することができるようになっていました。

弥勒菩薩像と大日如来像の間に案内があり、以下のように書かれていました。

 知足山弥勒院龍華寺という寺号は知足天(兜率天)にいらっしゃる弥勒菩薩が五十六億七千万年後に下生して開く「龍華三会」の法座を希求するという意味がある

それを読み、知足山弥勒院龍華寺という寺号にそのような意味があると初めて知りました。

弥勒菩薩坐像は禅定印をした手に宝塔を持っています(宝塔を持っているから弥勒菩薩であるわけですが)。その姿から、お釈迦様の教えを大切に守りながら修業しており、悟りを開いた時には衆生にお釈迦様の教えを確実に伝えるという意思を感じました。

像には大檀那として扇谷上杉家の家臣の名前が書かれています。太田道灌が寄進したと伝わる不動明王画像も展示されており、龍華寺と扇谷上杉家との間には何らかの関係があったと考えられるそうです。

大日如来坐像は納入書には快慶作という伝承が記されているそうです。また走湯山(伊豆山権現)の宝印も納入されており、伊豆方面からもたらされた古仏であると考えられるそうです。

仏像を拝観すると若々しい青年のような印象を受けました。天平仏が隣に展示されているのでついつい比べてしまいますが、弥勒菩薩坐像、大日如来坐像ともに良い仏像でした。

脱活乾漆菩薩坐像は去年の四月に龍華寺で御開帳された時にお会いして以来となります。天平仏らしい美しいお姿です。体が少し向かって右に傾いており、持物は持っていませんが、手の形から何を持っていたのだろうと色々想像してしまいます。左手は水瓶を持っていたと思いますが、右手は琴のような楽器を演奏していたのではないかと想像します。

「龍華寺の仏像」という月例講座が五月にあるので、聴講して、これら三体の仏像に関してもっと詳しく知りたいと思います。

(追記)運慶展がものすごく混んでおり、今回の展示はあまり人がいなかったので、その点がずいぶん違うものだと感じました。やっぱり、運慶展は特別な展示だったのだと思います。


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