一休寺に到着するとまずは方丈に移動し、縁側に腰を下ろしてお寺の方の説明を聞きました。

お寺は一休さんが晩年を過ごしたので、一休寺という通称で呼ばれるようになったそうです。一休さんは六十三歳の時にお寺を再興し、八十八歳の時にこのお寺で亡くなったそうです。

また、これはお寺の方ではなくガイドの方から聞いた話ですが、一休さんは八十一歳で大徳寺の住職になりました。しかし大徳寺には住まず、一休寺から大徳寺まで歩いて通ったそうです。その距離は三十キロで、六時間ぐらいかかったと考えられているそうです。凄い話ですね。

方丈には一休禅師の像が祀られていました。この像は亡くなる前年に作られており、像の頭に一休禅師は自らの頭髪を植え付けたそうです。像までは距離があり、頭髪を植えた跡などは分かりませんでしたが、一休さんらしい逸話です。

目の前にある庭は南庭で、海を表しているそうです。庭にソテツがあるのが不思議に思ったのですが、江戸時代から作庭にソテツが利用されるようになったそうです。



次は北側の庭(北庭)が見える場所に移動しました。石で山を表しており、一番大きな石は仙人がいる山と考えられていた蓬莱山だそうです。



蓬莱山からは滝が流れている様子が表現されており、滝の水は北庭から東側の庭(東庭)に注いでいます。東庭は羅漢の庭と呼ばれ、石で羅漢を表しています。水は東庭を通って南庭、つまり、海に到着します。お寺の方の説明は庭まででしたが、庭園の持つ意味が分かり、有意義でした。



一休寺納豆とお茶を頂いた後、本堂に行きました。堂内に祀られている釈迦三尊像にお参りをし、次は宝物殿に行きました。

宝物殿には一休禅師頂相があり、一休さんを紹介する時によく出てくる画でした。また伝・一休禅師作のドクロ面があり、一休さんがドクロを手に持って京の都を歩いていたという話を思い出しました。

そして境内奥にある橋に行きました。一休さんのとんちで最も有名だと思われる「このはしわたるべからず」の橋があるとガイドの方に聞いていたからです。

橋は確かにありました。しかし、予想とは全然違い、日本三大がっかり橋があるならば、間違いなくノミネートされるようなものでした。写真を掲載しようかと思いましたが、是非、一度ご自身の目で確かめてみて下さい。

最後は一休禅師のお墓お参りをして、一休寺を後にしました。
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