2017/11/25

比叡山 釈迦如来像御開帳に行きました

比叡山延暦寺では、相応和尚1100年後遠忌記念として、釈迦堂の御本尊が33年ぶりにご開帳されており、合わせて、内陣特別拝観が実施されていますので、11月23日、比叡山を訪れました。

当日の天気予報はあまり良くなく、横浜を出るときには雨が降っていましたが、新幹線で西に向かうにつれ、日がさしてき、京阪線の坂本駅で下車した時には青空が見えていました(しかし延暦寺は山の上にあるので突然雨が降り出すこともありました)。

坂本駅からケーブルカーの駅まで歩きましたが、紅葉が綺麗でした。



ケーブルカーで山頂まで行き、まずは根本中堂でお参り。根本中堂は工事中で外観は見えませんでしたが、堂内の厳かな雰囲気は変わりません。不滅の法灯を見ていると、最澄の思いが伝わってきます。

次は大講堂でお参り。ここには、比叡山で修行した各宗派の宗祖が祀られており、比叡山が日本の仏教において母親のような存在であることを改めて感じさせてくれます。

次は西塔に向かおうと思い、バス停に行きましたが、次のバスまで30分ぐらい時間があります。そこで、お昼も近かったので、比叡そばを食べました。値段が730円と少々高めだったので、注文しようか一瞬ためらいましたが、選んで良かったです。美味しかったです。関西訪問時は蕎麦ではなく、うどんを食べることが多いのですが、関西風の薄味がとても美味しく感じられました。

バスに乗り、西塔ヘ。少し歩いて釈迦堂に到着し、早速、堂内に入りました。外陣まで結縁綱が伸びており、釈迦如来像の御姿も拝観出来ます。まずは結縁綱を握って、釈迦如来立像と御縁を結び、内陣参拝の列に並びました。外陣からのお参りは無料ですが、内陣参拝は500円が必要です。有料ですが、内陣の厳かな雰囲気はそれだけの価値がありますので、拝観をお薦めします。

灑水加持(しゃすいかじ)を受けて、内陣へ。文殊菩薩、八所明神、山王七所、元三大師がそれぞれ祠に祀られており、元三大師像は立ったままですとお顔が見えなかったのでしゃがんでお顔を見ると、目がつり上がっており、鬼大師のようでした。またお前立ちの釈迦如来像も祀られており、体部が清涼寺式でした。堂内は天台宗独特の様式で荘厳な雰囲気を感じました。

その後、横川に移動、横川中堂などを拝観し、比叡山を後にしました。


2017/11/22

「運慶」展に行ってきました

東京国立博物館で9月26日から開催されている「運慶」展も今週の26日までの開催となりました。
「東博だから都合の良い時に行こう」と思いながら、未だに訪れておらず、明日から京都に行くので、本日(11月22日)訪れることにしました。

東博に着くと、「切符購入まで15分、入場まで50分待ち」とのこと。「平日だから待つことなく入場できる」と思っていましたが、甘かったです。

やっと平成館に入場しても、すごい人です。じっくり文章まで読んでいるとものすごく時間がかかりそうだったので、今回は仏像のみを鑑賞することにしました。運慶展ですので素晴らしい仏像ばかりですが、私は特に願成就院の毘沙門天像と浄楽寺の阿弥陀三尊像に惹かれました。

願成就院の毘沙門天像は360度から鑑賞できるようになっており、どの角度から見ても素晴らしいかったですが、特に向かって左側から見る姿は格好良かったです。毘沙門天像の力強く一点を見つめる姿は、何か迷いがあった時のこの像を見れば、迷いなく決断ができるように感じました。

浄楽寺の阿弥陀三尊像は、平安時代における貴族風の様式とは違い、力強さを感じました。この仏像を見た鎌倉武士は新しい時代の到来を実感しただろうと思い、だから運慶の仏像が鎌倉武士に受けたのだと感じました。また不動明王像も良かったです。不動明王像は左目に比べて、右目を大きく開けているのですが、その右目と目が合う場所があり、そこから見る不動明王は格好良かったです。

運慶展はやはりお薦めの展示です。非常に混雑していますが、今日から最終日までは21時まで開催しているので、遅い時間に行けば、もしかしたら空いているかもしれません。



2017/11/09

月刊致知12号の特集は「遊」です。以下、総リードより。

遊は暇つぶしではない。また何かのためにするものでもない。子供の遊ぶ姿にそれは如実である。遊ぶ子供は、どんな遊びであれ、その遊びと一体になっている。夢中である。無心である。

「知る者は好んでやる者には及ばない。好んでやる者は楽しんでやる者に及ばない」
古来、多くの人が愛誦した一節だが、伊与田覚氏はこの上にもう一つの境地があるという。それが「遊」である。知には無知、好きには嫌い、楽しみには苦しみというように、知好楽には相対する世界がある。しかし、遊には相対するものがない。絶対の境地である。ここに到ることが尊いというのである。

『礼記』の一篇「学記」では、学問には蔵学、修学、息学、遊学の四つの段階があると記されている。
もっぱら本を読み、知識を蔵にしまい込むように学ぶ。蔵学である。
次に集めた知識を整理し、自分のものにする。修学である。
この段階を経ると、呼吸するのと同じように学問が自然になる。息学である。
そして、さらに学問が体に溶け込み、自分と学問が一体になる。遊学である。

ラーマ

神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。