(1) 心経秘鍵薬師如来像
(2) 船上阿弥陀三尊像
(3) 生六道地蔵菩薩像
が祀られています。
・心経秘鍵薬師如来像
弘仁九年(818年)の春、悪病が蔓延しました。時の帝、嵯峨天皇は弘法大師に薬師如来像の彫刻を命じ、自らも心経を写経して病魔の退散と招福を祈念されました。
現在の像はもちろん弘法大師が造った仏像ではありません(嵯峨薬師寺は二度火災に遭っています)。仏像は坐像18センチの乾漆仏であり、通常、乾漆仏は大きい仏像を造る時に用いられる技法です。ですので、弘法大師作の薬師像の一部を流用するために乾漆造で像を造ったのではないかと考えられているそうです。
・船上阿弥陀三尊像
恵心僧都作と言われる三尊像で、以下の縁起があります。
恵心僧都は生身の阿弥陀仏を拝することを願い、清涼寺に参籠し、祈念しました。満行の日、尼僧の導きにより、紫雲の中より船に乗った阿弥陀三尊が現れ、観音勢至菩薩が櫓(ろ)や櫂(かい)で雲の波を漕いで、西の空へと去って行かれるのを拝することができました。僧都はこの感動を後世に伝えようと、阿弥陀三尊像を彫刻しました。
現在の像は船に乗っていませんが、昔の版木には船の乗った阿弥陀三尊像が描かれています。
何故、船に乗っていたのか。大乗仏教は船のような大きな乗り物に皆が乗って、一緒に悟りを開く、極楽浄土へ行くことを目指すので、船に例えられるからだそうです。
・生六道地蔵菩薩像
小野篁作と伝わる像です。小野篁は六道珍皇寺の井戸から冥府に行っていましたが、帰りは嵯峨野にある福正寺の井戸から戻ってきていました。福正寺は明治時代に廃寺となり、祀られていた地蔵菩薩像は現在、嵯峨薬師寺に祀られています。
小野篁は地獄に行った時、猛火の中で苦しむ亡者を救い、その身代わりとなって焼かれておられる地蔵菩薩のお姿を見ました。篁はその姿に感動し、この世に戻ってから、早速、そのお姿を彫刻し、福正寺に祀りました。
嵯峨薬師寺は小さなお寺ですが、上記の大変魅力ある仏像を祀っています。観光寺院でないため、個人の拝観は8月24日のみとなりますが、是非、訪れて欲しいお寺です。
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