自然農法の先生が私に「一般に畑の野菜、ナスやトマトに虫がついていて食べたりするけれども、なぜだか分かりますか」と質問される。「それはその野菜が好きだからでしょう」と答えますと、そうではないと、虫が好きなのは本当は草だとおっしゃる。
自然農法家は作物が育つ間、自然に育ってくる草を刈らないそうです。作物と同じくらいの高さに草が育っていると、虫はトマトやナスには見向きもせず、草を食べる。それを知らずに草を刈ってしまうから虫は止むを得ず野菜を食べてしまうのだと。しかも、虫の種類によって草の好物は様々だから、無駄な草、つまり排除すべき草はないというのです。
この話を聞いて、これは僧堂でも一般社会でも人を指導する上では同じだなと目から鱗が落ちる思いでした。自然界では雑草や虫ですら一つとして無駄なものはない。「おまえは気に入っているからここにいなさい」「おまえはこの場所に合わないから出て行け」といったような発想は、実は何も育てていないということになります。
それは人生も一緒で、苦しいこと、嫌なことがいろいろとあったとしても「この出来事には何か意味があるんだ」と受け止めて、味わっていくことが大切なのではないでしょうか。
禅ではそれを現成受用といいます。現成とは自然がいつの間にか、つくりあげたものであり、それは素直に受け入れるべきであって排除すべきではないという教えです。