2014/02/17

建長寺 特別拝観

昨日(2月16日)は、鎌倉の建長寺を訪れました。その理由は「2014年春・梅 かまくら 寺社特別参拝」に当選したからです。この特別拝観では、滅多に拝観できない三門楼上の拝観も含まれており、数年前から参加したいと思っていました。しかし開催日が平日ばかりでしたが、今年は日曜日で、当選して参加することが出来ました。

JR北鎌倉駅で下車し、雪が残る道を歩いて、建長寺へ。到着し、受付をしようとすると、雪のため、三門の拝観は出来ないとのこと。残念ですがしょうがないですね。代わりに普段拝観できない修行道場を拝観できるそうです。

集合時間に三門下に集まり、案内が始まりました。まず、三門からです。
三門上はとても神聖な場所で、三門を通るとその神聖な場所を通ることになるので、お寺への行き帰りには三門を通って欲しいとのことです。
現在の三門は二代目で、鎌倉時代は今の三倍の三門があったそうです。

次は国宝の釣鐘です。建長寺には国宝が3つあり、釣鐘以外は掛け軸で常時見ることは出来ません。国宝の釣鐘は現在も現役で、鐘の音を響かせているそうです。

次は修行道場です。建長寺は現在16名の修行僧が修行をしており、修行道場の本堂を拝観しました。臨済宗は必要な分しか置かないため、とてもシンプルな本堂でした。修行僧は最低三年は修行する必要があるそうで、起床は午前3時、就寝は午前12時が普通だそうです。

次はビャクシンです。建長寺創建時に植えられた古いビャクシンがあり、雪のため、枝の一部が折れていました。そのような折れた枝から数珠を作り、ビャクシンの数珠が臨済宗では最も尊ばれるそうです。

次は仏殿です。室町時代作の本尊・地蔵菩薩坐像が祀られています。仏殿は元は増上寺にあり、臨済宗の建物にはない、きらびやかさがあります。

次は法堂です。名前の通り、昔は説法をした場所です。臨済宗建長寺派のお寺の名前が書かれた板があり、現在、407寺あるそうです。また建長寺派は関東地方+静岡県にしかないそうです。

最後は唐門です。こちらも元・増上寺にあったもので、最近修復したので、とても鮮やかです。今は勅使門で滅多に開くことはないそうです。建長寺と増上寺に何か関係があったのかという質問に対して、偉人を祀る建物は定期的に建て直され、かっての建物はリサイクルとして色々なお寺に渡ったそうです。かって建長寺は大変な時期があり、その時に徳川幕府と深いつながりのある増上寺から移築されたそうです。

三門の拝観は出来ませんでしたが、僧侶の方の案内で興味深く建長寺を拝観できました。次回は是非、三門の拝観をしたいです。
2014/02/15

塩沼亮潤さん講演会

今日は2月15日、お釈迦様の亡くなった日で、涅槃会に参加したかったのですが、残雪による道中の悪さ、電車の遅れにより、訪れることを諦めました。来年の2月15日は是非、良い天気であって欲しいです。

午後は、致知出版による塩沼亮潤さんの講演会に参加しました。塩沼亮潤さんは著書「人生生涯小僧のこころ」を読んで、一度実際にお話を聞いてみたいなとずっと思っていました。

講演の中では、「世のため人のためになろうと考えるな」と師匠から言われたという話が印象に残りました。そのように考えずとも、自然と世のため人のためになる行動ができるようになりなさいと意味だそうです。

私もブログを書く時、同じようにお寺めぐりをしている人に役立つ記事を書こうと思っていますが、普段通りにお寺めぐりをした内容が自然と役立つようになれればと思います。

最後に新書「毎日が小さな修行」を購入しました。まだ少ししか読んでいませんが、とても良い本だと思います。次回、塩沼さんの講演会があれば、また参加したいです。
2014/02/14

京の冬の旅 阿弥陀寺

2月9日、京の冬の旅で特別公開されている阿弥陀寺を訪れました。阿弥陀寺を訪れようと思ったのは織田信長ゆかりのお寺だからで、戦国武将好きとしては是非訪れたいお寺でした。

本堂に上がると中央に丈六の立派な阿弥陀如来坐像が祀られていました。着座してしばらく待っていると、案内の方が説明をしてくれました。京の冬の旅は案内の方が丁寧に説明してくれるのが嬉しいです。

中央に祀られている阿弥陀如来坐像は二度火災に遭ったそうで、顔が少し黒くなっていました。お堂の向かって左壇には、織田信長の像が祀られていました。阿弥陀寺は6月2日に一般公開されていますが、6月2日は本能寺の変があった日です。

阿弥陀寺の開山は清玉上人で、織田信長の庶兄である織田信広の初陣である小豆坂の戦いで、身ごもった婦人がおり、婦人は亡くなったが、お腹の中の赤ちゃんは無事で、信長の父である信秀はその子を我が子のように育てました。

その子は大きくなった時、自身の出生を知り、僧侶になりたいと願い、信秀は阿弥陀寺に預けました。それが後の清玉上人です。

清玉上人はやがて正親町天皇から帰依されるようになり、三好・松永の戦いで大きな被害を受けた東大寺大仏の勧進役に正親町天皇から任命されたそうです。江戸時代に公慶上人が勧進するまで、大仏はほったらかしになっていたと思っていたので、この事実には驚きました。

本能寺の変の日、当時の阿弥陀寺は本能寺から近い場所にあったので、清玉上人はいち早く本能寺に訪れ、信長の遺体を阿弥陀寺に運んだそうです。テレビなどで本能寺の変を特集した時、信長の遺体は見つからなかったと紹介されることが多いですが、清玉上人が運んだより、見つからなかったとしたほうがセンセーショナルだからでしょうね。

豊臣秀吉が自身の権力を天下に示すために信長の葬儀をしたいと清玉上人に願い出ましたが、清玉上人は信長の葬儀はもう済んでいると言って、拒否したそうです。

明治時代、明治天皇が信長に正一位を与えたいと考え、色々な場所にあった信長の墓のどれが本物かを学者に調査させたところ、阿弥陀寺にある信長のお墓が本物であると結論づけられたそうです。

説明が終わった後、像を近くで拝観しました。左壇には向かって右から織田信広、織田信長、織田信忠の像があり、本能寺の変で亡くなった森蘭丸らの位牌もありました。

右壇には、清玉上人像がありました。今回の訪問では、清玉上人について知ったことが良かったです。

最後は、織田信長のお墓と清玉上人のお墓にお参りしました。


ラーマ

神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。