2013年05月の記事一覧

霊場巡り旅ブログの旧ブログです。2018年5月上旬までの記事があります。

月別アーカイブ:2013年05月

  • 2013/05/20関東地方寺社巡り

    昨日、東慶寺の天秀尼展について書きましたが、講演会の内容は書いておらず、「内容を伝え、天秀尼という人がいたことを一人でも多くの人に知って欲しい」という強い気持ちが出てきたので、書きたいと思います。天秀尼は豊臣秀頼の子供として生まれましたので、何不自由無い暮らしをしていたと思いますが、そうではありません。豊臣家は秀頼に子供が出来たことを完全に隠し、妊娠が分かった時点で母親は大坂城外に移され、秀頼の子...

    記事を読む

  • 2013/05/19関東地方寺社巡り

    本日は東慶寺を訪れ、天秀尼展の記念講演会を聴講しました。天秀尼と言われても誰だか分からない人のほうが多いと思いますが、天秀尼は豊臣秀頼の娘で、豊臣家滅亡後、東慶寺の20世住職となった方です。私の天秀尼に関する知識も上述したことだけでしたが、本日、「豊臣家最後の姫」を書かれた、三池純正さんによる講演を聞き、その当時の豊臣家と徳川家の関係、秀頼の子供である、国松、天秀尼のことがおおまかに理解出来ました。...

    記事を読む

  • 2013/05/18関東地方寺社巡り

    本日、4月27日から5月19日まで両国の回向院で開催されている善光寺出開帳に行って来ました。善光寺の出開帳は江戸時代とても人気があり、今回は戦後初めての出開帳で、東日本大震災で亡くなられた方の供養、復興支援を目的として、開催されています。回向院に到着すると、受付の列に並び、参拝料千円、お戒壇巡り料五百円を払って、境内に入りました。そして、早速、回向柱に触れ、善光寺如来様と結縁です。回向柱は「善の綱」を通...

    記事を読む

東慶寺 天秀尼展記念講演会

昨日、東慶寺の天秀尼展について書きましたが、講演会の内容は書いておらず、「内容を伝え、天秀尼という人がいたことを一人でも多くの人に知って欲しい」という強い気持ちが出てきたので、書きたいと思います。

天秀尼は豊臣秀頼の子供として生まれましたので、何不自由無い暮らしをしていたと思いますが、そうではありません。

豊臣家は秀頼に子供が出来たことを完全に隠し、妊娠が分かった時点で母親は大坂城外に移され、秀頼の子供である国松、天秀尼は城外で秘密裏に育てられました。
豊臣家が子供の存在を秘密にしたのは、徳川家に知られたくなかったからだと考えられるそうです。

国松と天秀尼は、大阪の陣の間に城内に呼び戻され、短い時間ですが、父である秀頼と一緒に生活が出来ました。

しかし、後藤又兵衛、真田幸村などが戦死し、豊臣側の敗戦が濃厚となり、国松と天秀尼は城外に逃げます。
男の国松には武士の護衛が付きましたが、天秀尼は乳母が抱えて、逃げたと言われているそうです。

国松、天秀尼とも無事に城外に逃げ延びることが出来ましたが、結局、徳川側に見つかり、国松は処刑、天秀尼は東慶寺に預けられ、尼僧となることを義務付けられます。

天秀尼は7歳で東慶寺に入りましたが、出家したのは17歳です。
この間、天秀尼は「自分は何のために生まれてきたのだろう」と迷います。
両親と離れて育てられ、ようやく会えた父・秀頼は自刃し、兄・国松も処刑されました。そして、自身は選択の余地なく、尼僧になることを決められます。

江戸時代、女性の側からは離婚が出来ませんでしたが、東慶寺は縁切り寺として、女性が東慶寺に駆け込めば離縁できることとなっていました。
天秀尼は弱い立場にあった女性を助けることにより、東慶寺に入ったのは自分ではどうにもならない運命だと思っていましたが、天命であることに気づきました。

そんな時、会津40万石の大名・加藤家で内紛が起き、筆頭家老の堀主水は高野山に、その妻・寿林は東慶寺に逃げ込みました。
高野山は堀主水を引渡し、堀主水は処刑されました。しかし、天秀尼は寿林を引き渡せば、殺されることが分かっていたので、引渡しを拒否し、大大名である加藤家と対立します。
幕府の判定の結果、加藤家は改易となり、天秀尼は寿林を守ることが出来ました。

天秀尼は寿林に阿弥陀如来像を与えましたが、その像は子孫の鈴木さんから昭和51年に東慶寺に奉納され、現在、宝物館に展示されています。

天秀尼展の案内には
「冬の寒さを知る人は誰よりも春の暖かさを感じることができる。だからどんな運命も、宿命も、絶対に変えていかなければならないのである」
と書かれています。

講演会を聴き、「豊臣家最後の姫」の作者である三池さんは天秀尼のことが本当に好きで、天秀尼の思い、考えが理解できるのだ思いました。


天秀尼のお墓です。これから東慶寺を訪れた際は必ずお参りしたいと思います。
タグ

東慶寺 天秀尼展

本日は東慶寺を訪れ、天秀尼展の記念講演会を聴講しました。
天秀尼と言われても誰だか分からない人のほうが多いと思いますが、天秀尼は豊臣秀頼の娘で、豊臣家滅亡後、東慶寺の20世住職となった方です。

私の天秀尼に関する知識も上述したことだけでしたが、
本日、「豊臣家最後の姫」を書かれた、三池純正さんによる講演を聞き、その当時の豊臣家と徳川家の関係、秀頼の子供である、国松、天秀尼のことがおおまかに理解出来ました。
本を購入したので、詳細は本を読んで学びたいと思います。

東慶寺を訪れるのは、2月の仏像展ギャラリートーク以来ですが、どちらも東慶寺が行なっている素晴らしい活動に参加でき、東慶寺がますます好きになりました。


タグ

善光寺出開帳 両国回向院

本日、4月27日から5月19日まで両国の回向院で開催されている善光寺出開帳に行って来ました。
善光寺の出開帳は江戸時代とても人気があり、今回は戦後初めての出開帳で、東日本大震災で亡くなられた方の供養、復興支援を目的として、開催されています。

回向院に到着すると、受付の列に並び、参拝料千円、お戒壇巡り料五百円を払って、境内に入りました。

そして、早速、回向柱に触れ、善光寺如来様と結縁です。
回向柱は「善の綱」を通して、善光寺如来仏と繋がっていますので、回向柱に触れることは仏様と御縁を結んだことになります。



次は念仏堂に行くと、善光寺如来仏が祀られていました。
一つの光背に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が収まっている独特の像です。
東京で、善光寺如来とお会いできるのは、本当に有難いですね。

次は二階にある、「祈りの間」に移動しました。こちらには、
・陸前高田の松で造立された「おやこ地蔵尊」
・津波の被害に遭い、がれきの中から発見された、陸前高田市金剛寺の如意輪観音像
・同じく、がれきの中から発見された、陸前高田市要害観音堂の聖観音像
などが祀られていました。

祀られている中では、金剛寺の如意輪観音像が印象に残りました。
お寺では長年秘仏だったそうで、そのためか、お顔は被災されたとは思えないぐらい、綺麗に感じました。

しかし、近くに寄ると、手などが新しくなっており、被災されたのを実感しました。
また、観音像はお顔を左下に向けており、像の向かって右側に座り、そのお顔を見ていると、悲しみをこらえているような表情に感じました。

次は「善光寺出品文化財」を拝観。
江戸時代の出開帳では、本多善光夫妻と子息の三像、涅槃釈迦像も善光寺如来像と一緒に出開帳されていたそうで、今回もこちらで祀られていました。

以上を拝観した時、時間が午後1時10分くらいでしたので、本堂で1時半から開催される法話会を聴くために本堂内で待ちました。

津波の被害に遭った、陸前高田市金剛寺の御住職の法話で、御住職は震災の一ヶ月前に手に大怪我をして、入院していました。
病院は津波の被害に遭わず、手に怪我をせず、お寺にいたならば、どうなっていたか分からなかったそうです。
瓦礫の中から見つかった如意輪観音像は、手が破損しており、観音様が救ってくださったと感じたそうです。

また、被災者ではなく、復興者と呼んで欲しいという話も印象に残りました。

本堂一階には、白装束を着た、びんずる尊者像が祀られていました。
今回初めて善光寺を出たそうで、しゃもじで触れて、お祈りをしました。

そして、最後に戒壇巡りをしました。
これで一通り拝観しましたが、法話を聴いて、もう一度、如意輪観音像にお会いしたくなったので、会いに行って来ました。

今回の出開帳は、東日本大震災の復興支援が目的ですが、「復興支援」を「復幸支縁」と書いています。仏様との結縁により、幸せを復活する。実現させたいですね。
タグ
Copyright © 霊場巡りの旅(旧)ブログ All Rights Reserved.