2013年04月の記事一覧

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月別アーカイブ:2013年04月

  • 2013/04/23致知

    致知五月号の特集は「知好楽」です。以下、総リードより。松下電器の社長だった山下俊彦さんが色紙を頼まれると好んで書かれたのが「知好楽」である。「これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない」極めてシンプルな人生の真理である。仕事でも人生でも、それを楽しむ境地に至って初めて真の妙味が出てくる、ということだろう。ここでいう「楽」は、趣味や...

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  • 2013/04/21美術館、博物館

    今日も奈良まほろば館を訪れ、本日は安倍文殊院の法話を聴きました。多くの方がご存知のように安倍文殊院の文殊菩薩坐像と脇侍像の合わせて四体が今年新たに国宝に指定されましたので、その記念講演と言えるものです。(注)文殊菩薩像の脇侍は四体(善財童子、維摩居士、仏陀波利、優填王)ですので、合わせて五体ですが、維摩居士は松永弾正による焼き打ちの際、焼失して、江戸時代に造り直されましたので、国宝には指定されてい...

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  • 2013/04/20美術館、博物館

    本日は奈良まほろば館で開催された興福寺の法話会に参加しました。興福寺は今年、南円堂創建1200年記念として、4月12日から6月2日まで、南円堂の不空羂索観音を特別開帳し、同時に北円堂も開帳します。南円堂の御開帳は10月17日の年に一回だけですので、貴重な機会です。以下、印象に残ったことを書きます。・南円堂は明治以前は簡単に入堂は出来なかった。足利将軍でさえ入れなかった。・お堂は一般に南を向いているが、...

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知好楽

致知五月号の特集は「知好楽」です。

以下、総リードより。
松下電器の社長だった山下俊彦さんが色紙を頼まれると好んで書かれたのが「知好楽」である。
「これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない」
極めてシンプルな人生の真理である。仕事でも人生でも、それを楽しむ境地に至って初めて真の妙味が出てくる、ということだろう。

ここでいう「楽」は、趣味や娯楽に興じる楽しさとは趣を異にする。その違いを明確にするために、「真楽」という言い方をする。
何事であれ対象と一体になった時に生命の深奥から沸き上がってくる楽しみが「真楽」である。
物事に無我夢中、真剣に打ち込んでいる、まさにその時に味わう楽しさが真楽なのである。
人生の醍醐味とはこの真楽を味わうことに他ならない。
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安倍文殊院 法話会

今日も奈良まほろば館を訪れ、本日は安倍文殊院の法話を聴きました。
多くの方がご存知のように安倍文殊院の文殊菩薩坐像と脇侍像の合わせて四体が今年新たに国宝に指定されましたので、その記念講演と言えるものです。
(注)文殊菩薩像の脇侍は四体(善財童子、維摩居士、仏陀波利、優填王)ですので、合わせて五体ですが、維摩居士は松永弾正による焼き打ちの際、焼失して、江戸時代に造り直されましたので、国宝には指定されていません。

内容は、安倍文殊院の歴史、何故今回国宝に指定されたかというものでした。以下、印象に残ったことを書きます。

・645年に安倍氏の氏寺として、大化の改新で功績があり、左大臣となった安倍倉梯麻呂によって創建された。左大臣は右大臣、内大臣より偉く、左が上位なのは、心臓が身体の左側にあるからである。

・文殊菩薩像は以前から快慶作と分かっていたので、重要文化財に指定されていた。しかし、何故、造られたのか分からなかった。

調査の結果、墨書から像は建仁三年(1203年)10月8日に造られたことが判明。同じ年の11月に東大寺総供養が行われた。

行基は奈良の大仏造立に大きく貢献し、亡くなった後、文殊菩薩の化身と考えられた。
南都焼討によって消失した東大寺を復興した重源は行基を尊敬しており、東大寺総供養に合わせて、文殊菩薩像の制作を快慶に依頼した。

造立の理由は分かったが、何故、安倍文殊院に造ったかという謎が残る。
当時、安倍寺は吉野川(紀の川)に荘園を持っていた。しかし、そこの管理人(武士)と揉め、東大寺に相談した。その結果、東大寺の別格本山(末寺)となった。

重源は勧進のため、各地に別所を造ったが、そこの本尊は全て阿弥陀如来であった。
安倍寺はその当時、阿弥陀如来が御本尊で、奈良における真言阿弥陀信仰の中心地であった。その為、阿弥陀如来像を新たに造らず、文殊菩薩像を造立した。

しかしまだ謎が残っており、造立は1203年だが、胎内から見つかった巻物には開眼法要は1220年に行われたとあり、17年の差がある。
安倍文殊院の近くに談山神社があるが、当時は妙楽寺と言い、興福寺とは兄弟寺であるが、仲が悪かった。戦いの時、興福寺側は安倍文殊院に集まり、そこから攻撃した。
興福寺が戻った後、妙楽寺側が安倍文殊院を攻めた。このように落ち着かない状態であったので、17年の差が発生した。

・安倍文殊院は入山料を取っていない。それは、誰もがいつでも手を合わせる場所でありたいと願うからである。お堂に入って近くで文殊菩薩像を拝観する時は拝観料を取っているが、管理費としていただいており、お堂の外から文殊菩薩像を拝観するのは無料である。

今回、安倍文殊院の話を聞き、重源による東大寺再建に合わせて造られた仏像の一つということで、国宝になったという流れがよく分かり、とても為になりました。
また最後の入山料を取っていないという話もそのとおりだと感じましたので、また安倍文殊院を訪れたいなと思いました。
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興福寺 法話会

本日は奈良まほろば館で開催された興福寺の法話会に参加しました。
興福寺は今年、南円堂創建1200年記念として、4月12日から6月2日まで、南円堂の不空羂索観音を特別開帳し、同時に北円堂も開帳します。
南円堂の御開帳は10月17日の年に一回だけですので、貴重な機会です。
以下、印象に残ったことを書きます。

・南円堂は明治以前は簡単に入堂は出来なかった。足利将軍でさえ入れなかった。
・お堂は一般に南を向いているが、南円堂は東を向いている。つまり、春日大社のほうを向いている。
・造像には目的がある。南円堂は藤原内麻呂、北円堂は藤原不比等の供養のために造られたことを忘れないで欲しい。

「興福寺の諸尊を拝む」ということで、
その一 裁判所から引っ越してきたお地蔵さん
その二 興福寺のパワースポット
その三 仏をこころに思い描く
その四 奈良で初めて通じる祈りがある
の話がありました。

・奈良地方裁判所はかって興福寺一乗院があった場所にあります。裁判所の建て替えの際、裁判所にあったお地蔵さんを興福寺に移動しました。お地蔵さんは暗い所にあり、誰にも拝まれず、顔はのっぺらぼうだったそうです。
移動する際、明るい場所に安置するようにとのことだったので、三重塔の下に安置したそうです。すると、お地蔵さんに顔が浮かんできたそうです。
次回興福寺を訪れた時には、三重塔のお地蔵さんにお参りしたいと思いました。

・興福寺では修行として、不動堂で護摩を焚くそうです。ある夜、護摩を焚いていると足音が聞こえるが、振り向いても誰も居ないことが何度もあったそうで、その時、興福寺は亡くなった人も訪れる素晴らしいお寺だと実感したそうです。
不動堂は南円堂の前にありますので、興福寺を訪れた時は毎回お参りしていますが、これからも必ず訪れようと思います。

南円堂の特別公開に合わせて奈良に行きますので、その時のことは後日書きたいと思います。


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