内容は
(a) 円空の造形の独自性
(b) 日本人と円空仏
(c) 円空の生きた時代の日本
から構成されていました。
以下、印象に残ったことを書きます。
まず最初に「今回の展示が冬に開催されたのは千光寺が雪で訪れることができなくなるからで、春になったら、千光寺で土地を感じながら円空仏を見て欲しい」と話され、博物館で拝観するのも良いですが、お寺でもお会いしたいなと改めて思いました。
(a) 円空の造形の独自性
・円空は木にしか彫っていない。ほとんどの像を一材から造っている。漆や色を塗ったりはしていない。
・(5)三十三観音立像は神像のように手を隠し、足を彫っていない。
・(11)護法神像のように両脇にヒレのようなものがある。これは飛鳥時代の仏像に見られるもので、法隆寺で飛鳥仏を見たのだろう。
・ノミ跡を残す(若い頃の仏像にはない)。
・決まりにとらわれない。
(b) 日本人と円空仏
・微笑、優しいお顔
・素朴に円空の特長を見つけている人が多い。円空仏程度なら自分でも作れると思っている人がいる。しかし、両面宿儺坐像を見れば分かるように、円空は仏師としても素晴らしい腕を持っていた。
・日本人は素材の質感が感じられるものが好き。磁器を例に出し、大陸で好まれたものと日本で好まれたものを紹介してくれました。円空仏は木の質感が感じられる。
・(33)千手観音菩薩立像は左足のところに僧形像が彫られているが、右足の部分に別の一体彫る予定だったと思う。しかし、木の節があるので、木が彫るのを止めろと言っているように感じ、止めたと感じる。円空は木の意思、木にこもった仏の意思を尊重した。
・木に仏が宿っている。木を大切にしたい。木に余計なことをしたくないという気持ちがあったと感じる。
→ (33)千手観音菩薩立像は前の記事でも書きましたが、足下に僧形像が彫られているのが不思議で、どうしてだろうと考えたくなる像です。浅見さんの解釈はとても興味深かったです。
・一般に仏像は像として見え、後から木を感じる。しかし、円空仏は像と木を同時に感じる。
→ 木とは仏と言い換えることができると思いました。仏像を拝観した時、まずは物として見え、しばらく対面していると仏として感じられることが多いですが、円空仏の場合はすぐに仏を感じられるのだと思います。
(c) 円空の生きた時代の日本
・城、寺社を造るために大規模な伐採があった。支配階級だけでなく、庶民も水田の肥料にするために柴刈りをしており、円空の生きた時代は木は貴重だった。
→ 円空の生きた時代は木が仏像造りに利用できる木がたくさんあったと思っていたので、驚きました。
最後に「今回の展示では解説が少ないという苦情がいつもより少ない。(仏像を)感性で見ているからではないか」と話されました。
講演会を聞いた後、展示会場に戻り、円空仏を再度拝観したくなりました。