2011年08月の記事一覧

元霊場巡り旅ブログのブログです。

月別アーカイブ:2011年08月

  • 2011/08/31滋賀仏女ブロガー

    滋賀県が募集していた仏教美術の宝庫である滋賀を紹介する仏女ブロガーに応募していましたが、見事に当選しました。お寺めぐりというと京都、奈良をすぐに思い浮かべますが、滋賀県にもそれらに負けない素晴らしいお寺がたくさんあります。それらをこのブログを通して、多くの人に紹介できればと思います。今年の秋は滋賀が熱いと思います。特に滋賀県立近代美術館、大津市歴史博物館、MIHO MUSEUMの三会場で開催される「神仏いま...

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  • 2011/08/30高月観音の里ふるさとまつり

    世話人の方に続いてお堂に上がると中央に扉の閉じた厨子があり、左右に西国三十三観音霊場の写し本尊が祀られていました。そして、世話人の方が扉を開けると、十一面観音様がいらっしゃいました。そのお顔を見ていると、我々衆生を温かく見守ってくれているように感じました。また、うっすら笑っているようにも感じ、「がんばれよ」と応援してくれているようにも感じました。医王寺の観音様に見守られている湖北の人々は安心して自...

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  • 2011/08/29高月観音の里ふるさとまつり

    8月7日の話です。ここ数年、8月第1日曜日はお寺めぐり友達の方々と高月観音の里ふるさとまつりに参加しています。今年も参加しましたが、高月町のお寺はほとんど訪れたので、今年は木ノ本周辺のお寺をメインに訪れ、その後、高月観音まつりの渡岸寺などを訪れました。・黒田観音寺黒田観音寺に訪れるのはこれが二回目です。堂内に入るとまずは着座して、テープによる案内を聞きました。観音像は手が左右に9臂ずつあり、高さは...

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仏女ブロガーに当選しました

滋賀県が募集していた仏教美術の宝庫である滋賀を紹介する仏女ブロガーに応募していましたが、見事に当選しました。

お寺めぐりというと京都、奈良をすぐに思い浮かべますが、滋賀県にもそれらに負けない素晴らしいお寺がたくさんあります。それらをこのブログを通して、多くの人に紹介できればと思います。

今年の秋は滋賀が熱いと思います。特に滋賀県立近代美術館、大津市歴史博物館、MIHO MUSEUMの三会場で開催される「神仏います近江」展は注目です。

秋に京都、奈良を訪れる計画をお持ちの方も多いと思いますが、今年は滋賀県も訪れるのはどうでしょうか。きっと、素晴らしい思い出ができると思いますよ。
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2011 湖北観音めぐり 医王寺

世話人の方に続いてお堂に上がると中央に扉の閉じた厨子があり、左右に西国三十三観音霊場の写し本尊が祀られていました。そして、世話人の方が扉を開けると、十一面観音様がいらっしゃいました。

そのお顔を見ていると、我々衆生を温かく見守ってくれているように感じました。また、うっすら笑っているようにも感じ、「がんばれよ」と応援してくれているようにも感じました。医王寺の観音様に見守られている湖北の人々は安心して自分のやるべきことを一生懸命頑張れるだろうと思いました。

こちらの観音像は明治時代に長浜の古物商にあったものを買い受けて、お寺に祀られたものです。また、頭部のお飾りやお顔の様子から初々しい花嫁を連想するので、村に嫁いできた花嫁と呼ばれています。

医王寺の観音堂の前に小さな石仏が祀られていました。小さく可愛らしいそのお姿を見ると、白雪姫を守る小人を思い出し、村に嫁いできた花嫁(観音像)を守っているんだなと思いました。


2011 湖北観音めぐり

8月7日の話です。ここ数年、8月第1日曜日はお寺めぐり友達の方々と高月観音の里ふるさとまつりに参加しています。今年も参加しましたが、高月町のお寺はほとんど訪れたので、今年は木ノ本周辺のお寺をメインに訪れ、その後、高月観音まつりの渡岸寺などを訪れました。

・黒田観音寺

黒田観音寺に訪れるのはこれが二回目です。堂内に入るとまずは着座して、テープによる案内を聞きました。観音像は手が左右に9臂ずつあり、高さは1メートル99センチだそうです。准胝観音像とも言われていますが、准胝観音ならば三眼だが、額には目ではなく、白毫があるので、准胝観音像であるとは言い切れないそうです。

黒田観音寺では通常明かりがついた状態で拝観しますが、今回は明かりを消してもらい、その状態で観音様を拝観しました。どちらが良いかは人それぞれでしょうが、個人的には灯りを消した状態のほうが良いと感じました。近くでも拝観できるので近くに移動しましたが、近くからしゃがんで拝観した時のお姿が一番美しいと感じました。

・安念寺

堂内に入ると、随分傷んでしまっている仏像が安置されていました。案内によると、織田信長による比叡山焼き討ちの際、安念寺も焼失しましたが、幸い、仏像は田の中に埋めて隠したので焼失は免れました。それから約250年後の文政年間に田の中から村人がたちが像を掘り出し、洗い清め、仮堂を建て安置しました。その仏像が今、目の前に安置されている像です。田の中に長い間埋まっていたので、傷んでしまっています。今のお堂は昭和八年に建て替えられましたが、それまでの村の夏の行事として、仏像を川に持ち出し洗い清めていたそうです。そのため、別名「いも観音」とも呼ばれています。



中央の二体の仏像のうち、向かって左側の像は衣から如来と分かりますが、お顔は全くわからない状態になっています。右側の像は菩薩像(観音)と分ります。右壇にはどの仏様だったか全く分からなくなってしまっている像が何体か祀られていました。左壇には如来像が祀られており、傷んだ姿が苦行した後のお釈迦様のように感じました。

・明音寺 千手堂

世話人の方に扉を開けてもらうと、十一面千手観音像が安置されていました。全体的に黒いですが、唇の部分にだけ朱色が残っていました。お顔は厳しいように感じましたが、良い像でした。

千手堂の観音像は賤ヶ岳の戦いの際、戦災を逃れるために川に埋められました。しかし、観音像は見つかりませんでした。そこで留守を守るため若狭から観音像をお迎えしました。その観音像が今拝観している観音様です。

流された観音像は川道に祀られているそうで、きっと川道千手院の本尊だと思います。川道千手院では来年の11月3日から9日までご本尊の御開帳があるので、訪れて、お姿を拝観したいです。
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