まずは北円堂の無著像を紹介し、名前は浅見(あさみ)だが、深みがあるという言葉が好きで、無著像からは深みを感じると笑いをとっていました。
願成就院の仏像は運慶が東国に下って造ったか、奈良にいて造ったか、議論が続いており、東に住んでいる研究者は東国に来た、西に住んでいる研究者は奈良で造ったと考える人が多いそうです(冗談で言っただけかもしれませんが)。
浅見さん自身は東国に下った説を取るそうです。その当時、急速に力をつけていた鎌倉武士からの造仏の要請ならば、ご機嫌伺いもかねて、東国に下るのではないかと話されていました。金沢文庫で聴講した運慶講座で、願成就院は奈良で、浄楽寺は東国に下って造仏した説を聞いたので、そのなのかなと思っていましたが、資料が出ない限り、決着はつかないのでしょうか。
また、制多迦童子の話もされました。願成就院の制多迦童子はとても変わった表情をしています。これは北条時政が運慶に造仏を高圧的に頼んだが、表立って文句を言えない運慶があのような表情を彫ったのではないかと話されました。このように仏像から色々想像するのは楽しいですね。
今回の講演会の本題(?)になるような真如苑と光得寺の大日如来像の話をされました。どちらも山本勉先生により運慶作と考えられていますが、真如苑の像に関して、果たして、運慶作かと疑問を投げかけていました。
両像を並べて紹介し、どちらの像を良いと感じるかと尋ねられ、浅見さんは光得寺のほうが良いと感じるそうです。真如苑の像に関して、運慶仏としては甘いと感じるところをいつくか紹介していましたが、私がなるほどと思ったのは、智拳印と胸の間の空間が小さいという話です。
円成寺の大日如来像と特徴として、智拳印と胸の間の空間の取り方が他の像と比べて、大きいことが指摘されていますが、真如苑像は展示していたのを後で確認しましたが、確かに光得寺像よりも空間が少なかったです。真如苑像は光得寺像の模刻の可能性もあると話されていました。
重源上人像も運慶作として考えるには写実的でないと話され、興福寺・南円堂の四天王像は運慶作かなど今後の研究が待たれる話もありました。
上述した以外にもたくさんの話があり、時間は90分でしたが、本当にあっという間に過ぎた感じです。東博でもいつか運慶展を開催したいと最後に話されていましたので、その日が楽しみですね。