2011/05/29

深川不動堂 新本堂

昨日は28日、つまりお不動さんのご縁日でしたので、どこか不動明王を祀るお寺に行こうと思い、深川不動堂に行きました。深川不動堂を選んだ理由は、新本堂が出来てからまだ訪れたことがなかったので、新本堂での護摩を見てみたかったからです。

お寺に到着するとまずは元の本堂を確認しました。ご本尊は新本堂に移されており、白い幕が降ろされていました。今年の秋に丈六の不動明王像が安置されるそうで、楽しみです。

次は内仏殿を拝観しましたが、以前と変わりはありませんでした。内仏殿の仏様にお参りすることにより、たくさんのご真言を覚えたので、これからも素晴らしい空間であって欲しいと思います。

まだ護摩の始まる時間までは時間がありましたが、新本殿に入りました。新本堂はすり鉢状になっており、段々ベンチに座って、護摩に参加できるようになっていました。ベンチと内陣の間には正座して座れる場所があり、お札を申し込んだ方はそこに座って、護摩を受けるようです。

護摩は以前と変わらぬ迫力のあるものでした。元の本堂は少し狭かったですが、新本堂は広いので、多くの人が護摩に参加できるのは良いことだと思います。

護摩が終了した後、天国宝剣のお加持がありましたが、その場所へは新本堂の中を通って行きました。途中、本尊の不動明王が祀られている場所の下も通るようになっていました。

新本堂で護摩を多くの人に体験して欲しいと思います。


2011/05/28

芸大コレクション展など

今日は雨でしたが、東京芸術大学の「芸大コレクション展―春の名品選」と「香り かぐわしき名宝」展を鑑賞に行きました。お目当ては「芸大コレクション展―春の名品選」で展示されている快慶作の大日如来坐像でしたが、他の展示も興味深かったです。

香り展では
・仏教伝来と共に香木をたくことを知った
・仏への供養は香、花、灯
の文章が印象に残りました。

また
・目に見えない香りの魅力
の「目に見えない」という部分も印象に残りました。

聖徳太子の孝養像が展示してあり、何故展示されいるのだろうと思いましたが、孝養像は聖徳太子が父である用明天皇の病気平癒を祈り、香炉を持っている姿だからと分かりました。

「春の名品選」の快慶作の大日如来坐像は360度から拝観することができ、本当に素晴らしい像でした。石山寺にある快慶作の大日如来坐像と近い時期に造られたそうですが、私的には石山寺の方が好きです。金沢文庫の運慶展では運慶作の三体の運慶像がそろって展示されましたが、いつか慶派の大日如来展を開催してもらい、運慶と快慶の大日如来像をそろって拝観出来ればと思います。

「春の名品選」には肥後別当定慶の毘沙門天立像も展示してありました。こちらの像は邪鬼の目が印象に残りました。目が上の方を見ており、像の前に立った時、邪鬼と目が合うようになっています。

香り展は明日までですが、春の名品選は展示期間が追加されるので、訪れることをお勧めします。


2011/05/22

金沢文庫 月例講座「龍華寺の仏像」

本日は金沢文庫で月例講座「龍華寺の仏像」を聴講してきました。

まず最初に龍華寺の簡単な説明があり、龍華寺は真言宗御室派の別格本山で、横浜市金沢区にある真言宗のお寺のほとんどは御室派だそうです。これは金沢地区が御室派の本山である仁和寺の寺領だったからだと考えられているそうです。龍華寺は1499年に開山しましたが、前身寺院があり、浄願寺と光徳寺が合併して龍華寺になったそうです。

・脱活乾漆菩薩坐像

片足を踏み下げた像で、このような像を以前は半跏像と呼んでいたそうですが、最近は呼ばなくなったそうです。定まった呼び方はまだなく、踏み下げ像と呼んでいました。

この像は平成になってから発見され、京都の美術院で修理されました。修理前の写真を紹介してくれましたが、今のお姿とはかなり印象が違いました。像は江戸時代にも修理され、その時に踏み下げた足を左右間違えたそうで、修理前の姿は左足を踏み下げていました。また江戸時代の修理時に色も塗られたそうです。美術院の修理でそれらは元通りになり、今のお姿となりました。

私はこの像の手の形がいつも気になるのですが、修理前の写真には手首から先はありませんでした。美術院の修理で奈良時代の仏像を参考にして手首から先を造ったそうですが、どの像を参考にして造ったのか気になります。

脱活乾漆像は奈良時代に造られ、関西より東ではほとんど見られません。それが何故、横浜の龍華寺にあるか。それについては後半で話してくれましたので、ブログでも後半に書きます。

・大日如来坐像

現在の本尊で、この像には銘文があり、1620年7月3日に龍華寺に移されたことが分かるそうです。上げ底式で、これは運慶が作り出した技法なので、慶派の仏師による作だと考えられているそうです。運慶と快慶作の大日如来坐像の画像と見比べ、この像は快慶の作風に似ているそうです。

・弥勒菩薩像

以前の本尊で、なぜ弥勒菩薩が本尊となったかについても様々な説があり、
・称名寺の本尊が弥勒菩薩なので、その影響を受けた。
・龍華寺の前身である浄願寺は瀬戸神社の裏にあり、忍性が再興したと考えられているそうです。忍性の真言律宗は弥勒菩薩を重視していますので、龍華寺の本尊も弥勒菩薩になった。
などがあるそうです。

像は室町時代の作で、室町時代の仏像は四角くなるそうで、以前は室町時代は鎌倉時代に比べて、作像の技術が劣化したと考えられていたそうですが、同じ時期の中国の仏像も四角い感じなので、室町時代はその影響を強く受けていたと考えられているそうです。

・阿弥陀三尊像

善光寺式如来像で、全身の光徳寺の本尊であったと言われているそうです。

・阿弥陀如来坐像

銘文があり、高野山にいた僧・蓮意が中心になって、発願したことが分かるそうです。ですので、この像は高野山から龍華寺に移されたそうです。

最後に脱活乾漆像がどこから龍華寺に移されたかですが、先程の阿弥陀如来が高野山から移されたので、乾漆像も高野山から移されたのではと考えるかも知れませんが、平安時代に開山された高野山に天平時代の脱活乾漆像があるのは変なので、高野山から移されたとは考えにくいそうです。

浄願寺は忍性と関係があると書きましたが、忍性の真言律宗は奈良だけでなく、地方の古代寺院を復興させており、その時に奈良から仏像を移動させています。例えば、佐賀県の東妙寺の釈迦如来像は鎌倉時代に船で奈良から運んだそうです。また鎌倉の極楽寺にも奈良から様々なものを運んできた記録があるそうです。ですので、真言律宗の僧がこの脱活乾漆像も奈良から運んできたのではないかと考えているそうです。

ラーマ

神奈川県横浜市に在住です。
寺社巡りは楽しいものであり、巡っていると色々なことに気づくということを紹介していきたいと思います。